武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

国会を正常に機能させるために黒岩さんは請願権を行使した…笹沼弘志氏意見書

 意見書・笹沼弘志(静岡大学教授、憲法学)  

はじめに

 本意見書は、被告人弁護人らの依頼に基づき、被告人が2021年7月16日、東京オリンピックパラリンピック聖火リレーDay8(以下「本件イベント」という。)が開催されていた武蔵野陸上競技場(以下「陸上競技場」という。)に隣接する武蔵野総合体育館の前で、爆竹に点火して体育館敷地内に投げ入れて破裂させ、バリケード(プラスチックの柵であり、以下、単に「柵」という。原審上野調書6頁)を乗り越えて敷地内に立ち入ろうとした行為が、東京オリンピックの中止と同開催の是非に関して改めて議論を行うべきことを求める趣旨の請願権の行使として捉えうるものであり、威力業務妨害罪の構成要件に該当せず、またその方法も目的達成のための合理的範囲内にとどまるものであって可罰的違法性を有しないことについて、憲法学の観点から検討するものである。

 

 その前に、被告人がいかなる事情で本件行為を為すに至ったのか、その背景について簡単に確認しておきたい。

 まず、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会(以下「東京オリンピック」という)については、その誘致から開催に至るまで、安倍元総理による虚偽の「アンダーコントロール」言明による招致アピール、竹田恆和・元招致委員会理事長によるIOC委員への贈賄疑惑、電通元専務で東京オリンピックパラリンピック組織委員会理事であった高橋治之の収賄疑惑、テスト大会に関連する業務の入札をめぐる談合疑惑など数々の不正行為があり、さらにオリンピック会場の建設に伴い明治公園内に居住する野宿者を強制執行により強制的に排除したり、あるいは都営団地「霞ヶ丘アパート」の住民を立ち退かせたりして、居住場所を奪うなどの人権侵害事件があった。

 被告人は、長年、野宿者(ホームレスの人々)の支援活動を行っており、東京都や渋谷区など行政が、公園や路上などで起居する野宿者を強制的に追い立てる行為に対して、その中止を求める活動に従事してきた。公園等に野宿する人々は、たとえ日本国民として選挙権を有していても、住居がないので住民基本台帳に登録されず、選挙人名簿にも登録されないため、選挙の際に投票する権利を剥奪され、国会や地方議会において自らを政治的に代表する者を持てなかった。そのため、国会や都議会などにおいてオリンピック開催の是非や、オリンピック開催に伴う公園での野宿者排除等について代表を通じて議論する機会を奪われてきた。

 オリンピック開催に関して国民の代表として職務を委託されている者たちが虚偽の言動や贈収賄の不正行為を行ってきたことは、正当に選挙された国会や都議会においてオリンピックの開催やその是非についての正常な議論を妨げる行為であり、民主的政治過程の機能を麻痺させ、国会や都議会等の正当性を傷つけるものであった。さらに、国や都が、こうした民主的政治過程の機能不全を伴った上で強引に開催を決めたオリンピックのための会場整備を口実として野宿者や高齢者らから居住の場所を奪う行為を行ってきたことについて、被告人は抗議の意思を示すとともに、オリンピックの中止と、オリンピック開催の是非について議論することを求めざるを得なかったのである。しかし、既にオリンピック開催の準備段階に入っている状況においては、議会での議論を呼びかけるだけでは足りず、開催準備などの実行行為を担う者たちに対して、オリンピックの中止とその開催の是非に関する議論を行うことを求めざるを得なかったのである。そこで、本件行為によって、オリンピック開催という公務の遂行に携わる点において公務員とみなしうる者(あるいはそのように被告人が考えた者)たちに対して、オリンピックの中止とその開催の是非に関する議論を行うことを求める趣旨で請願行為を行ったのである。

 そこで、オリンピックの開催に関して、本来、日本の民主的政治過程はどのように機能すべきであったのか、その機能不全に対してどのような手段をとり得たのかについて、国民主権と代表、議会政のあり方、議会政の機能不全を回復する請願権の機能等の観点から検討したい。

 

1.国会における代表者と国民

 日本国憲法は次の一文から始まる。

 

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」

                                                                                                   

 すなわち、主権を確保した日本国民は行動する。何のために日本国民は行動するのか。わが国全土にわたって自由、人権を保障すること、また「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを目的として、日本国民は行動する。どのような方法で行動するのか。「正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」する。

 日本国民が人権を保障し、戦争の惨禍が起こらないように行動するためには、「正当に選挙された国会における代表者」を通じる必要がある。国会は、主権者国民が行動するために日本国憲法が創設した手段である。この国会が正常に機能しない場合、主権者国民は行動することができない。つまり、人権を保障し、戦争の惨禍が起こらないようにするための行動ができないこととなる。国会の機能不全は、わが国全土において人権を保障することと、戦争の惨禍を起こさないことを不可能または困難に陥らせることとなる。これは、主権者国民を構成すると同時に、人権の主体である個々の国民にとって死活的な重大事であるというべきものである。したがって、国民個人は国会を正常に機能させることに常に重大な関心を有せざるをえない。

 国会が機能不全に陥りながら、自らその機能を回復し得ないとき、国民個人は座視しているべきなのであろうか。ジョン・ロックの政府解体論によれば、主権者国民は機能不全に陥った統治機構を排除し、新たな統治機構を設置することも可能である[1]。これが抵抗権と称されているものである。かような抵抗権の行使に至らずとも、国会の機能不全という事態を前にして、国民は主権者の地位にある者としても、人権主体としても、「国会における代表者」に呼びかけ、その機能を回復させるために最大限の努力を行うべきであろう。

 国会がその職務を忘れ、審議を怠り、機能不全の状態にあるとき、国民個人にはいかなる方法があろうか。その一つは日本国憲法21条が保障する一切の表現の自由である。そしてもう一つ、日本国憲法は、直接的に国会における代表者に呼びかけ応答を求める権利として請願権を保障している。そこで以下、議会制の本質と議会の公開の意義、請願権の観点から本件被告人の行為の違法性を検討する。

 

2.議会政の本質——自由な討論

 「自由は議会制によってのみ保障されている」[2]。わが国全土にわたって自由の恵沢を確保するためには、議会制が必須である。議会制の大原則は公開の討論である。「議会主義の絶対的に典型的な代表者」と呼ばれるフランスのギゾーは議会主義の構成要素を、自由な討論と公開性、出版の自由だとした[3]。このギゾーの議論を参照しつつ、現代自由主義憲法学に圧倒的な影響を及ぼしているカール・シュミットは、「討論と公開性」こそが「議会という制度がその精神的基礎」を置く原理であると論じた[4]現代日本における立憲主義憲法学を代表する樋口陽一は、討論と公開性、出版の自由という三つの要素は今なお「議会制民主主義の骨格をなすもの」だという。それは、「議会での自由な討論が公開され、表現の自由の保障のもとで、国民の批判にさらされることによって、多元的な利害と価値を反映した審議が可能となり、そのことによって、そのときどきの議会少数派(野党)も、その時点での表決では敗れても、国会審議の場で、さまざまな争点を提起することを通じて、つぎの選挙の機会に、有権者の支持を得ることを期待できる、というところに、現代議会制民主主義の図式が成り立つからである」[5]

 国会における代表者は、公開された自由な討論を通じて国民の総意、一般意思を形成することによってはじめて主権者国民の代表者となり、主権者国民が行動することを可能とする。国会における代表者が、自由な討論をなし得ない場合、国民の総意を形成することはできず、国民の代表者としての機能を果たすことも不可能となる。

 自由な討論により審議を尽くすことは議会制の本質的原理であり、生命である。審議の原理は、近代議会制を支える原理であり、「この原理は、議会の決定の妥当性に客観性をもたせるうえで、議会の構成員による自由な討議を尽くすことが寛容であるとする原理である」[6]。国会が審議をなしえない機能麻痺状態に陥ることは、議会そのものの存立意義、生命を失うことに等しい。とすれば、主権者国民は人権を保障し、戦争の惨禍が起こることのないように行動することができなくなる。

 ジョン・ロックは「社会にとって何が善であるかを討論する自由と、その討論を遂行する時間的余裕とをもたない限り、たとえ一定数の人びとがいても、否、たとえ彼らが集会を開いたとしても、そこには立法部が存在するということにはならない」、「立法部の自由を奪うか、適切な時期における立法部の活動を阻害するかする者は、事実上、立法部を奪い取り、統治に終止符を打つことになる」、つまり「統治の解体」がもたらされるという[7]。その場合、人民は新たな統治機構、立法部を設立し直さねばならないこととなる[8]

 このような統治の解体状態に陥る前に、立法部の自由な討論を維持し、支えるのが議会の公開の原則である。人民監視の下ではいくら暴君といえども露骨に暴力をふるうことはためらわれるものである。

 

3.請願する権利

 請願する権利について、憲法16条は、「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。」と定めている。

 「請願の本質」とは何か。清宮四郎は「国民および国家機関の認識を深め、国家機関が間違った行動にでるのを防」ぐことであると端的に述べている[9]。国家機関、例えば国権の最高機関である国会が間違った行動にでるのを防ぐことこそ、請願権の本質的機能であろう。「国会における代表者」が正常に機能しなければ、主権者国民は人権保障のために行動することができない。とすれば、国家そのものの存立意義自体が失われてしまう。そのとき、国民は「国会における代表者」に正常な機能を回復させるために、請願権を活用すべきであろう。

 国会における代表を選出し、あるいは変え、議会の機能そのものを積極的に構成する役割を果たすのは前述の通り選挙である。しかし、選挙権は成人の国民に限定されている。未成年者や受刑者、住居喪失者には選挙をなす資格が与えられていない。しかし、彼らであっても、また外国人であっても日本国の統治下にある限り、国会に対して請願をなしうる。したがって、主権者国民が全土にわたってすべての人の自由・人権を保障するために行動する手段としての国会の機能を限界ぎりぎりの地点で支える役割を請願が果たしていると言えよう。だからこそ、「国政全般の徹底的民主化に伴って、・・・請願権の行使に付いてのやかましい制限が撤廃され、誰でも簡易な手続のものに手軽に行いうるようになった」のである[10]

 請願の方法については、請願法1条が「請願については、別に法律の定める場合を除いては、この法律の定めるところによる」と定められており、国会に対する請願については国会法で、地方議会に対する請願については地方自治法等で定められている。

 しかし、これらの定めは国会や地方議会などが本来の機能を果たしている場合を前提として、国会が制定したものである。国民・住民の代表機関として議論し意思決定を行う議会が機能不全に陥っている場合、その機能不全を是正するように議会に対して請願を行う手続について、法律は特段の定めを設けてはいない。これはある意味で当然のことであろう。しかし、それは議会の機能不全時においては、国民が憲法によって保障された請願を議会に対してなしえないということを意味しない。むしろ、そのような場合だからこそ、国民には議会の機能不全を是正すべく憲法上の権利としての請願権を活用することが求められるというべきである。議会が正常に機能していない場合、国民は直接憲法16条に依拠して積極的に請願をなすべきであるといえよう。改めて憲法16条を見てみれば、請願の目的については「損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項」であり、国会や地方議会の機能不全に関する請願も当然含まれるものと解される。このとき、憲法16条よって請願について課される制限は唯一「平穏に」ということのみである。

 「平穏に」という条件について、宮澤俊義は「請願を行うに際して、暴力を用いたり、暴力的威嚇を用いたりすることなく、の意である」[11]と解している。具体的には、「大衆的なデモ行進を背景とする請願」も平穏なものとして許容すべきものと解されている[12]

 「平穏に」という条件を逸脱したものについて、宮澤俊義は「その請願を提出された機関は、これを受理する義務がない」としている[13]。しかし、行為目的が請願であり、請願行為であるといえる限り、なお「何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」ものというべきであろう。

 ところで、「平穏に」というのは、いかなる概念か。これは例えば「大衆的なデモ行進を背景とする請願」が「平穏」なものと解されているように、一定の幅があり、なおかつ相対的なものといえよう。デモというのは屋外、車輛が多数通行する路上で、ときとして店舗の宣伝や音楽などが流れる喧騒の中で行われるものであるから、大音量のスピーカーなどを使って行われることもある。これに対して静寂な官庁の屋内で求められる平穏さは全く別物であろう。つまり「平穏に」というのは相対的概念なのである。

 現に静寂であって、静寂であらねばならないような機関、例えば図書館に対して請願を行う場合には、大声を出すことを慎まねばならないのは当然であろう。しかし、大きな騒音につつまれている公共事業の建設現場において、その騒音を止めるか低くして欲しいと求める請願については、事業を指揮する公務員に請願内容が正確に伝わるように一定の大きさの声を出すことが必要となる場合がある。これは、請願が呼びかけというコミュニケーションの一態様であるがゆえに有する当然の性質である。

 コミュニケーションとしての呼びかけ行為について考えてみよう。例えば、財布を途に落とした通行人に財布を落としましたよと声で呼びかけても気づかずに急ぎ足で立ち去ろうとしているとき、財布を拾い、追いかけ、肩を叩いて呼びかけることが必要となることがある。声を掛けたが反応しなかったから放っておくということが道徳的により正しいということはできない。また、例えば学生が教授の研究室を訪ねたとき、軽くドアをノックしても教授が研究に没頭しているのかまったく反応しなかったならば、教授が気づいてくれるようにより強くノックをするであろう。それが礼儀に反するということはない。

 請願は、国家機関等に対する呼びかけであるが故に、まず当該の国家機関等に請願している事実に気づいてもらう必要がある。そのために必要な一定の手段をとった場合、それは許容されるべきものである。憲法16条の「平穏」の程度も、このように「気づいてもらう」という必要性との比較で相対的に決まるものである。

 16条はまた「平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と定めている。したがって、当然ながら「平穏に請願」を行ったことにより処罰されるべきではないのはいうまでもない。また、目的が請願であり、そのために必要な手段としてやむを得ずにとった方法について、刑事免責されるのも当然である。16条が定める「平穏」さは、請願のために必要やむを得ない手段を許容するというのは上述の通りである。ただ、主観的には必要やむを得ない手段であると思っていた場合であっても、客観的には過度の不合理なものであり、「平穏」なものでないという評価を受ける場合もあろう。しかし、憲法が「請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」と強く請願行為を保護している趣旨を鑑みれば、当該請願がなされた状況において必要やむを得ない程度の「平穏」さを超えたものであっても、その程度に応じて違法性が阻却されるか、刑が減軽されるべきものである。

 「いかなる差別待遇も受けない」ということは、単に処罰しないということだけではなく、請願を行うことにより政治的にも社会的にも、経済的にも、あらゆる場面で差別的な、不利な扱いを受けないということである。なぜこのように請願を手厚く保護しているのか。 それは請願権が参政権的意義を有しているだけでなく、外国人も含め、日本国の統治のあり方全般について統治下にあるすべての人びとの自由に関わるからである。統治に一方的に服従し、統治者に対して一切意見を述べることも、聞いてもらうこともできないのは奴隷状態に等しい。だからこそ、請願権に対して手厚い保護を行っているのである。これを考慮すれば、許容される「平穏」さはより広汎なものになると考えられる。請願目的であれば、暴力的な方法でなければ、一見平穏さを欠くかに見える態様であれ、平穏なものとして許容されるべきであるといえよう。

 いかなる場合に平穏さを欠く、許容されない請願であるといいうるのか。その限界を明確に引くことは容易なことではないかも知れない。しかし、本件のように多数の人々が集う競技場周辺の喧騒状態にあった中で、爆竹を用いることは特に危険な行為というべきものではなく、誰にも傷害を負わせていないし、何も壊しておらず、平穏な請願の範疇に属するものというべきであろう。仮にこれが平穏の程度を一定程度超えたものであったとしても、処罰すべき甚だしく不穏当な行為であるとまでは言えないであろう。そこで次に、本件行為の評価について、本件行為が請願を目的としたものであったか、本件行為が平穏なものであったか否かに即して検討してみたい。

 

4.本件行為の評価と評価方法

 1審東京地裁立川支部判決が認定している通り、被告人による爆竹点火及び投げ入れ等の一連の行為は、「本件イベントの開催自体を妨害する目的」でなされたものではない。被告人の目的は本件イベントを中止させることではなく、東京オリンピック2020の開催自体の中止を求めることであり、そのため改めて同オリンピックの開催の是非を国と都が議論するよう求めることであった。その目的達成のために、本件イベントの場を通じて、オリンピック開催のための業務に従事する者たちや国や都の民主的政治過程を担う者たちに対する請願を行う趣旨で本件の一連の行為を行ったに過ぎないのである。

 つまり、被告人は数々の疑惑と不正により国会や都議会で十分に議論されることがないままオリンピックが開催されつつあることについて深い失望の念をもち、民主的政治過程が本来の討論・審議機能を回復させ、オリンピックの実施に関して改めて議論することを求めて、爆竹点火及び投げ入れ等の一連の行為を行う方法を用いつつ、請願を行ったということができる。これら一連の行為は、国会や都議会が国民や都民の代表としての機能を失っているのではないかと懸念し


た被告人が、これら民主的政治過程を担う機関が本来の討論機能を回復させることを企図して行った請願行為としての性格を有する。

 これに対して、東京地裁立川支部判決は、被告人の行為を「聖火イベントの開催に抗議するという被告人の思想・考えを示すための表現行為であることは理解できる」とした上で、「憲法21条1項は、表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく、公共の福祉のため必要かつ合理的な制限を是認するものであり、たとえ思想を外部に発表するための手段であるとしても、その手段が他人の権利を不当に害するようなものは許されない」として「被害会社の業務を直接又は間接に中断ないし変更させるもの」であることなどから、「その手段や方法は、表現行為としての相当性を欠いている」と判断し、被告人の行為が威力業務妨害罪に該当し違法性も阻却されないと有罪判決を下した。

 しかし、被告人の行為は名宛て人を人一般とする表現行為としての性格を有するだけでなく、オリンピック開催業務に従事する者たちへの請願行為である。請願については請願法5条が「官公署において、これを受理し誠実に処理しなければならない」と定めている。公益財団法人東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会の役員や職員については、東京オリンピックパラリンピック特別措置法28条で「みなし公務員」と定められている。同委員会からオリンピック関連イベント開催業務を請け負う私人であっても、オリンピック業務という公務の遂行に当たる者であるから、被告人等国民にとっては公務員またはそれに準ずるものとみなされうるものである。従って、被告人から請願を受けたために、「これを受理し誠実に処理するため」一時的に従事していた業務を中断せざるを得なかったとしても、これによって被告人が業務を妨害したとはいえないのは当然である。むしろ、オリンピック開催業務に従事していた「被害会社」の従業員等は、被告人の請願を受理し誠実に処理するための行為を為すべきであったのである。

 従って、被告人が本件一連の行為によって「被害会社」の業務を一時的に中断させたとしても、被告人の請願を「受理し誠実に処理するため」の義務を課せられた「被害会社」は、むしろ業務を中断し請願を受理する義務を負っているのであるから、被告人が「被害会社」の業務を妨害したとはいえないのは当然のことである。

 被告人がとった爆竹点火及び投げ入れという有形力の行使方法は、お祭りなど祝い事をする際の慣例的な行為であって、ことさら危険な行為とみなすべきものではない。被告人の行為は、自らの請願をなすために、オリンピック開催業務従事者に対して呼びかける行為に過ぎない。例えば道端で財布を落とした人を追いかけ肩を叩き、財布を落としましたよと声を掛ける行為と同様、必要最小限度の呼びかけの方法に過ぎない。

 ところで、日本の民主的政治過程を担う国会が自由な討論による審議というその本来的機能を失い、混乱喧騒状態に陥っている場合に、「国会審議が正常なルールに基いて営まれないことについて憤激」して一定の有形力を行使した国会議員等の行為について、その動機の正当性を斟酌して無罪を下した事例としていわゆる国会乱闘事件1審東京地裁判決(1962年1月22日判例時報297号7頁)がある。

 同判決は「民主制議会政治の基本的原則は国会における議案の審議が十分に論議を尽すことによってのみ運営されることにある」ことを前提とし、議院の自律権にも一定の限界があるとした上で、「多数党が数の力を頼りに有無を言わさず押し切ることの非」に対して実力をもって対抗した野党議員が公務執行妨害罪や傷害罪等に問われたこの事件において、「被告人らは国会審議が正常なルールに基いて営まれないことについて憤激こそすれ、本来これを決して妨害しようとしたものではなかつたことが明らかである。」、「国会の正常な運営、審議等を妨害せんとするが如きは議会政治を破壊するものとして到底これを容認できないけれども、本件における被告人らの行動はすべていささかも国会の正常な審議を妨害せんとする意図に出たものではない」ことを重視して無罪判決を下した。

 本件被告人も国民や都民を代表する国会や議会が「正常なルールに基いて営まれないことについて憤激こそすれ、本来これを決して妨害しようとしたものではなかつた」のであり、むしろ「民主主義を守るため」すなわち国会や都議会など民主的政治過程にその正常な機能を取り戻させることを意図していたのは明らかである。

 

結論

 本件行為は、主権者であり、かつ人権主体である被告人が、数々の不正行為などによってオリンピック開催に関わる民主的政治過程が歪められ、議論が不十分な状態にあることを目の当たりにして、民主的政治過程の本来の機能を回復させることを目的として行った請願行為である。また、選挙権行使機会を剥奪され、国会や都議会等でのオリンピック開催に関する議論から排除されてきた野宿者等を代表して、彼らの意思をも届けようとした請願行為である。その目的は正当であって、その方法は憲法16条の定める平穏さの限度内のものであり、なんら非難されるべきものではないというべきである。

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[1] ジョン・ロック『統治二論』(岩波文庫、2010年)560-561頁。

[2] ハンス・ケルゼン『民主主義の本質と価値』(岩波文庫、2015年)45頁。

[3] M. Guizot, Histoire des origins du gouvernement représentatif en Europe II, Paris, 1851, p.14.

[4] カール・シュミット『現代議会主義の精神史的状況』(岩波文庫、2015年)125頁。

[5] 樋口陽一佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂憲法III 注解法律学全集3』(青林書院、1998年)126—127頁(樋口陽一執筆)。

[6]佐藤幸治日本国憲法』(成文堂、2011年)448頁。

[7] ジョン・ロック『統治二論』(岩波文庫、2010年)555-556頁。

[8] ロック前掲書558-559頁。

[9] 清宮四郎「請願法」同『憲法の理論』(有斐閣、1969年)373頁。

[10] 清宮四郎前掲書382頁。

[11] 宮澤俊義芦部信喜補訂)『全訂日本国憲法』(日本評論社、1988年)228頁。

[12]樋口陽一佐藤幸治・中村睦男・浦部法穂憲法I 注解法律学全集1』(青林書院、1994年)352-353頁(浦部法穂執筆)。

[13] 宮沢前掲書228頁。

 

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〈主要著書〉

(1)単著

1)『臨床憲法学』、単著、日本評論社、2014年9月、全231頁。

2)『ホームレスと自立/排除』単著、大月書店、2008年2月、全312頁。

監修

3)野村まり子絵・文 ; 笹沼弘志監修『えほん日本国憲法 : しあわせに生きるための道具』(明石書店、2008年)

 

(2)共著

4)「日本社会を蝕む貧困・改憲と家族 : 24条「個人の尊厳」の底力」中里見博・能川元一・打越さく良・立石直子・笹沼弘志・清末愛砂著『右派はなぜ家族に介入したがるのか : 憲法24条と9条』大月書店、2018年5月

5)「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、石埼学・笹沼弘志・押久保倫夫編『リアル憲法学第2版』、共編著、編者他6名、法律文化社、2013年5月、132-145頁。

社会権、国家賠償請求権」辻村みよ子編著『ニューアングル憲法 : 憲法判例×事例研究』、共著、編者他14名、法律文化社、2012年6月、234-258頁。

○6)「傷ついた公共性と『社会的なもの』」杉原泰雄、樋口陽一、森英樹編『戦後法学と憲法 長谷川正安先生追悼論集――歴史・現状・展望』共著、編者他75名、日本評論社、2012年5月、361-383頁。

7)「人権批判の系譜」愛敬浩二編『人権の主体』共著、編者他11名、法律文化社、2010年11月、22-52頁。

8)「社会権・国家賠償請求権」辻村みよ子編『基本憲法』共著、編者他17名、悠々社、2009年4月、201-224頁。

9)「犯罪と『社会の保護』——社会的排除立憲主義の危機を超えて」日本犯罪社会学会編『犯罪からの社会復帰とソーシャル・インクルージョン』(現代人文社、2009年)135-151頁。

10)「反戦ビラ入れ裁判で何が問われているのか」(立川・反戦ビラ弾圧救援会編著『立川反戦ビラ入れ事件』、明石書店、2005年5月10日)、pp.142−155(共著者石埼学、鵜飼哲、安達光治他)

11)「基本的人権をめぐる改憲論とその問題点」(ピープルズ・プラン研究所編『改憲という名のクーデタ』、現代企画室、2005年5月1日)、pp.87-99(共著者小倉利丸、天野恵一、白川真澄他)

12)「子ども法改革の国際的動向——旧ソ連(ロシア、ベラルーシ)」(日本教育法学会子どもの権利条約特別委員会編『提言[子どもの権利]基本法と条例』、三省堂、1998年6月10日)、pp.252-267(共著者永井憲一、荒牧重人、広沢明他)

13)「法制改革の諸問題——教育への権利と自由をめぐって」、川野辺敏監修『ロシアの教育・過去と未来』新読書社、1996年4月5日、pp.396-411(共著者川野辺敏、遠藤忠他)

14)「権力と人権」憲法理論研究会編『人権理論の新展開』共著、19名、敬文堂、1994年10月、31-42頁。

その他論文多数。

「請願したのだ!」笹沼先生かく語りき

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五輪忖度判決粉砕★爆竹抗議無罪!
控訴審突入決起集会

怒りに火をつけた五輪忖度=懲役1年判決!
法は誰のため。強いものにおもねる司法は粉砕。
いざ控訴審突入へ!あつまれ!

日時:4月23日(日) 13:15開場  13:30開始
会場:武蔵野芸能劇場・小ホール三鷹駅北口すぐ)
お話:宮本弘典さん(刑法) ※控訴審の意見書を提出いただいた学者
「あんたを業務妨害で逮捕する!?」―反政治的な政治弾圧について
※ほか・五輪談合レポート・弁護団解説など乞うご期待!
主催:武蔵野五輪弾圧救援会
  ( https://kyuenmusasino.hatenablog.com/entry/2023/03/15/070832

※カンパもよろしくお願いします
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