武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

釜ヶ崎監視カメラ弾圧裁判高裁で逆転無罪判決!、「次は武蔵野だ!」

釜ヶ崎監視カメラ弾圧救援会からのメッセージ

 本日の集会にご参加の皆さん、残暑厳しい中、本当にお疲れ様です。

 大阪の、「釜ヶ崎監視カメラ弾圧救援会」より、心から連帯のメッセージを送ります。

監視カメラ弾圧事件とは

 釜ヶ崎監視カメラ弾圧事件は、今から4年前の2019年から翌年2020年にかけて、大阪の釜ヶ崎で起きた弾圧事件です。

 高度経済成長期の1970年に建てられたあいりん総合センター。そのセンターが、多くの人の反対の声を無視して強制的に閉鎖されたのが、4年前の2019年4月24日。私たちはセンターの敷地内に運動拠点として「団結小屋」を設置しました。そして、渋谷の「のじれん」が行っているように、野宿の当事者とともに、共同炊事などの活動を続けてきました。

 ある日、団結小屋に一台の監視カメラが向けられました。そのカメラは、あいりん総合センターの向かいに仮移転中の、西成労働福祉センターの駐車場に設置されているカメラです。もともと日雇い仕事の求人車両が停まっている駐車場を撮影していたカメラが、団結小屋に向けられたのです。西成労働福祉センターは大阪府が設立した財団法人です。これは、団結小屋に出入りする私たちに対する、大阪府による露骨なプライバシー侵害です。

 この大阪府による嫌がらせ行為に対して、私たちのメンバーのうちの4人が、非暴力の抵抗手段に訴えました。団結小屋に向けられたカメラのレンズにゴム手袋を被せて、団結小屋の様子を撮影できないようにしたのです。このゴム手袋は、何日か後に大阪府によって取り外されましたが、取り外されたその日のうちに、今度は違う4人のメンバーが、安売りで有名なスーパー玉出のレジ袋を被せました。このレジ袋も取り外されたのですが、あろうことか、この非暴力の行為に対して、大阪府は警察に被害届を出したのです。

 そして2019年11月に、最初にゴム手袋を被せた4人が、また翌年の2020年3月にはスーパー玉出のレジ袋を被せた4人が逮捕されました。団結小屋前のカメラは地上から4メートルくらいの高い場所にあったので、袋を被せる時には脚立を使ったのですが、逮捕された人の中には、通りすがりに親切心で脚立を支えてあげただけという人もいました。たったそれだけのことで、全員が威力業務妨害で逮捕されたのです。武蔵野五輪弾圧と同じ罪状の「威力業務妨害罪」です。しかし武蔵野五輪弾圧と違っていた点があります。釜ヶ崎監視カメラ弾圧では、2度にわたる逮捕の2度とも、勾留がつかず、全員が2泊3日で釈放されました。検察の勾留請求を裁判官が却下したのです。その理由は「こんな軽微な事案で勾留の必要はない」というものでした。

 しかし、2度目に逮捕された4人、レジ袋を被せた4人の方は、起訴されてしまいました。これは何も、安売りのスーパー玉出のレジ袋を使ったことが、検察の怒りを買ったわけではありません。レジ袋を被せた方の4人の方が、特に警察に目をつけられていた、ということを意味しています。

一審公判で明らかになった、執拗に弾圧を画策する大阪府西成署

 そして、2年前の2021年7月から裁判が始まりました。裁判で明らかになったのは、大阪府警西成署は、この事件を捜査するにあたって、大阪府警本部に応援を依頼して、最大で20人近い体制の捜査本部を設置していたということです。カメラのレンズに袋を被せて撮影できないようにした、たったそれだけのことなのに、です。

 また先ほど、検察の勾留請求が却下されて、全員が逮捕後2泊3日で釈放されたとお伝えしましたが、却下されていたのは勾留請求だけじゃなかったんです。1度目の、ゴム手袋を被せた4人が逮捕されたのが2019年11月。2度目の、レジ袋を被せた4人が逮捕されたのが、4か月後の2020年3月。4か月も間があいたのは理由があります。警察は、本当は間を置かずに逮捕したかったはずなのですが、なんと、2度目の逮捕は当初、逮捕令状の発行さえ裁判所に却下されていたんです。裁判所も、こんなバカバカしい事件で令状を発行できるわけがない、と考えたんでしょうね。そこで大人しくあきらめればいいものを、警察はとにかく弾圧したい一心だったので、4か月後に再び、逮捕令状の発行を裁判所に請求したんです。

 警察のこの執念深さ、木原官房副長官の妻の元夫の事件とか、そういう事件で発揮してくれるといいんですけど、なかなかそうはならないんですね。

 釜ヶ崎監視カメラ弾圧は、あいりん総合センターの閉鎖反対運動に端を発しているんですけど、釜ヶ崎は今、大阪維新の会を筆頭とする再開発推進派によるジェントリフィケーションの実験場にされようとしています。武蔵野五輪弾圧と同じく、行政や大資本、そして警察などの権力による、貧しい人への犠牲を強いる社会構造、そういったものに抵抗の意志を示す人たちに狙いを定めて弾圧してくるんです。

大阪府の矛盾を追求したが、一審は有罪判決

 釜ヶ崎監視カメラ弾圧事件の裁判で最大の焦点となったのは、監視カメラを団結小屋へ向けることを決定した人物であり、検察側証人として出廷した、当時の大阪府商工労働部労政課の参事である、芝博基(しばひろき)という人物の証言でした。

 芝は、カメラを団結小屋方向へ変えた理由を聞かれて、「放火対策のため」と証言しました。カメラの角度を変える1か月ほど前に、団結小屋の近くでボヤ騒ぎがあったんです。あいりん総合センターの敷地は大阪府の管轄地なので、大阪府は管理責任者として放火対策をする義務があるから、ボヤ騒ぎのあった場所の方へカメラを向けたんだ、というのが芝の言い分です。

 しかし実は、団結小屋の近くでボヤ騒ぎがあったのと同じ日に、センター敷地内の、団結小屋とは反対側の場所でも放火があって、そちらの方が損傷が激しかったのに、そちらの方には何の放火対策もしていなかったことが明らかになりました。団結小屋の反対側の場所に放火対策をしなかった理由は明白です。そこには団結小屋がないからです。センター閉鎖反対運動の拠点である団結小屋だけが、「放火対策」と称して監視される対象となったのです。

 弁護団はこの芝証言の矛盾点を徹底的に追及しましたが、一審判決では芝証言の信用性が全面的に採用され、4人全員に罰金刑が言い渡されました。罰金額は4人ともバラバラで、10万円、20万円、30万円、そして50万円でした。懲役刑ではなく罰金刑だったことで、多少とも温情判決だったとも思う方もいるかもしれませんが、威力業務妨害罪の法定刑の上限は、3年以下の懲役または50万円以下の罰金です。つまり罰金50万円というのは、威力業務妨害罪の罰金刑としては、これ以上課すことのできない高い金額ということです。

 しかもこの金額は、検察の求刑通りの金額なんです。よく民事裁判の損害賠償請求などで、請求した通りの金額を支払うように裁判官が命じることを、俗な言い方で「満額回答」などと言いますけど、フツー、刑事弾圧事件で、検察の求刑に裁判官が平気で満額回答をするかぁ? ホントに、たいへん反動的な一審判決であったと思います。

高裁判決は、大阪府の矛盾を認めて逆転無罪

 4人の当該のうち、3人が大阪高裁に控訴しました。第一回控訴審が今年2月に行われ、この1回で結審しました。そして6月14日、高裁判決が出ました。結果は、なんとなんと、逆転無罪。控訴した3人全員が無罪となりました。別に、無罪の決め手となる新たな証拠が採用されたとか、一審の時とは論点が変わった、ということではありません。一審裁判で最大の焦点となった、大阪府商工労働部の芝参事の証言は、常識的に考えて矛盾だらけであると、大阪高裁の斎藤正人裁判長がそう認めたんです。

 監視カメラを団結小屋へ向けた大阪府の行為は、威力業務妨害罪で保護されるべき業務などではなく、カメラに袋を被せた行為は威力には当たらないし、違法な撮影から身を守るための正当防衛行為であった、という、きわめてまっとうな判決でした。

次は武蔵野だ!

 そしてこの論点は、武蔵野五輪弾圧裁判の控訴審でこそ採用されるべき論点でもあります。爆竹を鳴らした黒岩大助の行為は威力ではない。東京オリンピックの聖火セレモニーや警察による過剰警備は、威力業務妨害罪で保護されるべき業務ではない。抗議の意志を持って爆竹を鳴らす行為は、憲法で保障された、表現の自由の行使である。

 今年の3月、「袴田事件」の冤罪被害者である袴田巌さんの再審請求が東京高裁で認められました。その時、同じように冤罪被害者である「狭山事件」の石川一雄さんはこう言いました。「次は狭山だ」。

 この言葉を、東京と大阪で弾圧事件を闘っている私たちに当てはめてみると、こうです。「次は武蔵野だ」。釜ヶ崎監視カメラ弾圧裁判は、逆転無罪判決を勝ち取った。次は武蔵野だ。武蔵野五輪弾圧裁判当該の黒岩大助は無罪だ! そして、IOC東京五輪組織委員会小池都知事よ、お前らこそ有罪だ! 全員首を洗って待っとけよ!

釜ヶ崎の団結小屋

団結小屋にむけられた監視カメラ