武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

業務に何の支障がないのに業務妨害罪を適用すれば表現行為の取り締まりになってしまう…最終弁論要旨(後編)

第7回公判、黒岩さん


第3 被告人の本件所為には違法性が認められない


1 「2020東京大会」に抗議する意思表示としての被告人の行動
(※救援会注:以下、オリ・パラの歴史的性格・問題性については全面的に鵜飼証言を参照しています)

 ⑴ 被告人の抗議の対象=「2020東京大会」の開催
   ア 「2020東京大会」とは
     2021年の夏は、新型コロナウイルス感染症とオリンピック・パラリンピックで明け暮れたといえる。7月ころから新型コロナの「第5波」が訪れたといわれ、8月13日には、都内で5773人と過去最多の感染者数を記録した。ちょうどこの時期は、2020東京大会開催時であった。東京を中心に、7月23日から8月8日までの17日間、第32回夏季オリンピック大会が、8月24日から9月5日までの13日間、第16回夏季パラリンピック大会が開かれた。1964年大会以来57年ぶり2回目の東京での開催だった。
     コロナの世界的流行を受け、2020年夏の開催日程から1年延期となり、さらに、パンデミックによる「緊急事態宣言」下に「無観客」で開催されるという異例尽くめの大会となった。
   イ 近代オリンピックそのものに内包される問題
     鵜飼証人の証言により、そもそも、1986年ギリシャアテネで第1回が開催された近代オリンピックは、国民統合の新しい思想を生み出したいと考えたフランスの貴族クーベルタンの提唱により行われたものであるが、その出発点から、身体的優越性を価値とみなす優生思想や植民地主義が背景にあり、その本質において「平和の祭典」などではありえないことが明らかにされた。現在も、オリンピックには社会統合の機能が期待され、現在のオリンピック憲章が文言の上では否定しているにもかかわらず、開催国は常に国威発揚の機会として大会を利用してきた。
   ウ 「反五輪」という思想
     このようなオリンピックに対しては、すでに創設の時期から多くの反対意見が存在した。特に、オリンピックが商業化し、メガイベント化した1980年代以降には、開催都市や開催国の住民らに多くの負の影響をもたらす側面があることが広く知られるようになった。
     大会が行われ大規模な施設が作られるたびに生じる大資本による都市の再開発、それに伴う貧困層の都市部からの排除、開催を名目とする監視や治安法制の強化、計画時から膨れ上がる開催費用、大会開催後の大規模施設の廃墟化やその維持のためにかかる多額の費用、勝利至上主義によってスポーツ界にもたらされたドーピングや選手の人権無視などの歪みなどは、大会開催の都度、問題にされてきた。そのため、開催地への立候補について住民投票が実施され、都市の立候補が否定されることも続いた。
     2008年の以降の夏季・冬期の全ての大会について、開催国の内外で大きな異議申し立ての運動が起きた。2019年7月には東京に、今後五輪開催が予定されているパリとロサンゼルスばかりでなく、開催後も運動を継続しているリオデジャネイロと平昌からも反対運動の活動家が多数来日し、集まって交流が行われるということもあった。現在のオリンピック・パラリンピックは開催地の貧しい住民たちにとって災厄でしかないという認識は広がっており、「反五輪」という思想は世界に広がっている。

 ⑵ 本件イベントの位置付け
   ア オリンピックにおける「聖火リレー」の象徴性
     よく知られているように、「聖火リレー」は、1936年「民族の祭典」とされたベルリン大会でナチの宣伝省によって立案され、ドイツの組織委員会によって初めて実行されたもので、ドイツと古代ギリシャの間のつながりを誇示する象徴とされた。そして、その地域は、リレー後にナチスドイツに侵略されていったため、侵略の下調べの調査に使われたと言われることが多い。
     ベルリン五輪後も、聖火リレーはオリンピックの正統性を象徴するものとして、実施され続けた。受け継がれてきた火を開会式の最後に聖火台に着火することで五輪が開幕するというスペクタクルが、オリンピックの1つの象徴となった。そして、聖火リレーは、特に開催の準備期間において「世紀の祭典」が近づいたことを告げ知らせ、国民的一体感の高揚の輪に加わることを人々に呼びかける儀礼として、全体主義的な効果を持つものとして機能する。
     そのような象徴的意味を有するものだからこそ、聖火リレーに対してはこれまでも抗議のアピールが多数行われてきた。以前はギリシャのオリンポス市から陸路開催地まで運ばれていたリレーは、2008年の北京大会の際に、聖火が通過する各国の開催反対派によるリレー妨害が多発したため、ギリシャから直接開催国へ空輸されることに変わった。
     「聖火」という言葉は、当時のドイツの同盟国であり、次回予定国だった日本で流布したものであり、現在なお使用されているのは日本を含む漢字文化圏のいくつかの国に限られている。このことからもわかるように、日本においては、特に聖火リレー古代ギリシャとの強い関連性を意識させるものとして重視されてきた。
   イ 本件イベントの開催趣旨
     本件イベントは、A証人によれば、聖火リレーが東京都は公道が中止ということになりましたので、ステージ上で、走る予定だったランナーの人たちが、トーチキス、聖火などを繋げるというのを見ているだけ」のもので、「公道で実際にできなかった聖火リレー」の代替イベントであった。つまり、本来、公道をランナーが走り、それをつないでいく様子を広報することによって、開催に向けた盛り上がりを醸成していくはずだったのに、コロナ禍でそれを実施できなくなり、しかし、大衆の気分を盛り上げていきたいという大会組織委員会が、どうにかして大会の象徴である聖火を使う「苦渋の選択」として行われたのが、本件イベントを含む、多くの都市で行われた「トーチキス」関連イベントだったといえる。
     具体的な内容としては、調布市三鷹市武蔵野市の順番で、ステージ上でのトーチキスを行い、聖火皿への点火及びフォトセッションを行うというものであり、本件公道を走る予定だったランナー以外にランナーの関係者、本件イベントの周辺自治体、すなわち、調布市三鷹市及び武蔵野市の関係者、組織委員会が招待した人が参加した。そして、会場は、被告人の自宅から近い武蔵野陸上競技場であった。
     つまり、本件イベントは、2020東京大会を盛り上げて祝祭気分を醸成するという目的が大衆に向けても明らかにされた上で行われた、2020東京大会の前哨としての位置付けを有するイベントであると同時に、被告人にとっては、自らの生活エリア内で行われた、2020東京大会に対する自分の意思表明を行うのにもっとも適した舞台ともいえる。
   ウ 反対の意思表示を行うための公共的空間
     本件所為が行われた場所は、武蔵野陸上競技場に隣接する武蔵野総合体育館の敷地に接する西側の歩道上であり、閉鎖的な空間ではない。同所は、市役所を始め、公共施設複数が近接して所在しているため、歩道に接する車道はかなり交通量が多いが、歩道と車道とは区分され、広い歩道スペースが確保されており、エリア一帯が公共的空間として機能しており、人が滞留しても全く危険性がないような場所である。
実際に、被告人が本件所為を行った時点では、B証人を含む、イベントに反対する市民らが、プラカードやバーナーを所持して通行人やイベント参加者に示したり、拡声器を用いて話をしたりする態様で、抗議行動がまさに行われていた。
     このような場所は、さまざまな意見が披露され交換される可能性のある公共的空間としての性質を有する。そして、被告人にとっては、前述したようにいわば「地元」で2020東京大会に対する抗議の意思表示を行うには絶好の場所だった。


 ⑶ 2020東京大会開催に関する様々な意見の表出
 2020東京大会については、前述したようなオリンピック・パラリンピックに共通して指摘されてきた問題点のみならず、特有の、ただしオリンピック・パラリンピックの本質と密接不可分な、多くの反対の根拠が存在する。このことについては、鵜飼証人、B証人及び被告人が法廷で明らかにした。
   ア 「復興五輪」招致の欺瞞
     2011年3月に起きた東日本大震災は、オリンピック・パラリンピック開催の問題の政治的意味合いを複雑化・深刻化させた。政府の招致計画への関与は2012年12月に政権に復帰した自民党の第二次安倍内閣のもとで本格化したが、政府は、震災と福島第1原発事故によって引き起こされた危機的な社会状況を突破する目的で、五輪開催に戦略的な位置づけを与えた。
     地震津波による甚大な人命の喪失、生活基盤の無残な破壊に見舞われた被災地の現実、再臨界の回避と廃炉作業だけで数10年を要する原発の廃墟を前にすれば、被災者が真に望むかたちの復興作業のために、可能なかぎり多くの社会的リソースを集中して対処すべきであることには、議論の余地はなかった。しかし、実際にはこの当然の意見は無視された。東京都と政府は、被災地の現実に配慮することもなく、「復興五輪」を旗印に掲げて招致運動を展開し、なりふりかまわぬ招へいに邁進した。
     特に安倍首相は東京招致が決定した2013年9月のブエノスアイレスにおける国際オリンピック委員会(IOC)総会で、「原発事故は完全に制御されている」という、当時の東京電力の幹部でさえ耳を疑ったという明らかな虚偽を公言した。この嘘は、後に露見する賄賂工作とともに、五輪の開催権を手に入れるために、招致委員会が手段を選ばない活動を展開したことを如実に示すものであった。
   イ 新国立競技場をめぐる混乱と収奪のもくろみ
     2006年、東京都(当時石原慎太朗都知事)は2016年大会の開催都市に立候補した。この時点の招致案では、歴史的風致地区に指定され、厳しい建築制限があり、国有地、都有地、民有地が複雑に入り組んだ神宮地区では再開発が難しいので、メインスタジアムは晴海に建設するとされていた。この招致活動は失敗した。
     しかし、2005年に日本体育協会会長に就任し、2015年まで日本ラグビー協会会長でもあった森喜朗元首相は、「ワールドカップ開催の条件とされていた観客8万人収容可能なスタジアムの建設を、霞ヶ丘地区の国立競技場の建て替えによって実現する」という提案を行うことで、東京都に再立候補を働きかけた。
     この計画は神宮外苑地区全体の再開発をめぐる大規模な利権の発生と結びついていたことが後に判明した。現在、都市計画上の制限を緩和し、神宮外苑地域の歴史的景観を作ってきた樹木1000本を切り倒すという、同地域の再開発が改めて問題になっているが、大規模集会やイベントを行える場所として市民に親しまれてきた都立明治公園の廃園、その公園を生活の拠点としていた野宿生活者の排除、都営霞ヶ丘アパートの解体や住民に対する移住の強制は、東京都が2020東京大会開催に立候補した時点で織込み済みだったといえる。
   ウ コロナ蔓延による市民の忌避
     2020年初頭から、新型コロナウイルスは、その正体が十分明らかにならないままに多くの人々を犠牲にしながら、世界中に蔓延していった。
     にもかかわらず、3月16日、安倍首相はG7会議において、「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、完全な形でオリンピック・パラリンピックを開催する」と宣言し、あくまでも開催すると国際的に公約した。安倍首相は、当時、公明党代表に対して「とにかく聖火が日本に来ることが大事なので、それまでは、このスローガンを世界に発信して中止論を押さえ込む」と発言していた(鵜飼調書)。まだワクチンも開発されず、ウイルスの性質についても研究の進んでいないこの時点で行われたこの発言は、東京を始めとする日本国内に住む市民や海外から東京に来訪する市民の健康や生命よりも、メガイベントとしての2020東京大会の開催をあくまでも優先するとの姿勢を示すもので、オリンピック・パラリンピックの意義については認めている人たちにも衝撃を与えた。
     しかし、同月24日には、トーマス・バッハ国際オリンピック委員会会長と安倍晋三首相との間で、2020東京大会の1年延期が合意された。
     日本国内での新型コロナウイルス感染拡大に伴い、2020年中には、2021年の2020東京大会開催に危惧を有する市民は、増加していった。命や健康が重視されるべき、危険ではないかという意見や、コロナ禍で市民生活に深刻かつ回復困難な影響が生じている時に五輪どころではないという意見などが、ネット上はもちろんのことメディアを通じても広がった。
     そして、2021年4月25日、コロナ感染拡大にともない、東京都など10都道府県について第3回目の「緊急事態宣言」が発令された。この宣言以降は「緊急事態宣言で自粛せよと言われているんだから、オリンピックは強行できないだろう」という声が、市民社会にも広がっていた。

   エ 運営上の混乱
     2020東京大会は、大手メディアがすべてスポンサー企業に名を連ね、テレビでは国威発揚のための五輪宣伝が行われた。それにもかかわらず、運営の混乱や隠蔽された違法性の存在を窺わせるような事象についても、多数報道されることとなった。 
     最初の大会エンブレムは盗作であることが判明し廃案となった。新国立競技場建設に従事していた23歳の下請会社の現場監督がパワハラを告発する遺書を残して過労自殺した。そして招致活動において国際オリンピック委員会内で票を買ったという賄賂疑惑のため、2016年からフランスの司法当局の捜査対象となっていた竹田恒和日本オリンピック委員会会長は、五輪開催予定の前年に退任を余儀なくされた。そして、大会開催前の2021年6月7日には日本オリンピック委員会の会計担当の幹部が自死し、憶測をよぶことにもなった。
     2021年2月2日、森喜朗オリンピック・パラリンピック組織委員会会長は、「新型コロナがどんな形でも五輪は開催する」と発言したが、その翌日、「女性は競争意識が強い」「会議に時間がかかる」といった理由を挙げて、女性理事の増員に否定的な姿勢を示すなど、ジェンダー平等の規範を真っ向から否定するような発言を行った。この女性蔑視発言に対して国内外から強い批判が起こり、同月11日、森氏は辞任に追い込まれた。
     また、聖火リレー開始の1週間前には、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の演出面の統括責任者である佐々木宏氏が、女性タレントの容姿を侮辱するような演出案を提案していたことが明らかになり、翌日辞任した。

   オ 開催反対の声の全国的広がり
     2021年初頭には、オリンピック開催を中止ないし延期すべきであると考える人の割合はおよそ8割に達していたが、五輪開催に反対する世論は、同年2月の森会長辞任の時期ころから大きく広がっていった。聖火リレーのランナーに予定されていた著名人の辞退が相次ぎ、同月17日には島根県知事が県内の聖火リレーの中止検討を発表、オリンピック自体も中止すべきであると発言した。
     緊急事態宣言発令後は、医療従事者によるオリンピック中止要請がさまざまなかたちで発信されるようになったが、同年5月には来日したバッハ会長が「五輪開催のために誰もが犠牲を払うべき」と発言し、市民の反発を招いた。さらに、同年6月2日、政府の感染症対策分科会の尾身茂会長は、衆議院厚労省委員会で東京2020大会について、「今のパンデミック状況でやるのは、普通はない」と述べたが、丸川珠代五輪担当大臣は、大会中止を検討する意思はないことを示した。
     一方、日本オリンピック委員会理事の山口香氏は、「国民の多くが疑義を 感じているのに、国際オリンピック委員会も日本政府も大会組織委も声を聞く気がない。平和構築の基本は対話であり、それを拒否する五輪に意義はない」と述べ、東京2020はもはや「平和の祭典」とは言えないという認識を示した(5月19日)。同月下旬、信濃毎日新聞西日本新聞沖縄タイムス琉球新報などの地方紙が、また東京五輪のオフィシャルパートナーである朝日新聞も、社説で相次いでオリンピック・パラリンピックの中止を要請するに至った。また、元日弁連会長の宇都宮健児弁護士が呼びかけた中止を求めるオンライン署名には、5月14日に提出した第1次で35万筆、7月15日に提出した第2次で45万筆を超える署名が集まったと報じられており、きわめて広範な人たちが積極的に反対の意思表示を行った。
     以上のような状況からは、2020東京大会をめぐっては、まさに国論二分状態と評価できるような状態が存在した、ということがいえる。

 ⑷ 権利のための闘争 
    憲法第12条が「この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と述べていることからも明らかなように、権利及び自由は、憲法典に書き込まれることによって自動的に獲得できるものではない。憲法自らが「権利のための闘争の義務」を市民に課しているのである。
    2020東京大会が上述したような問題点をはらんでいることは、さまざまな観点から広範な論者から指摘されており、書籍や雑誌などでもそのような意見を採り上げた特集が行われていた。また、反五輪の運動は、国際的な反対運動ともつながりながら、招致運動中から展開され、運動の中で反対論も深化していった。2020東京大会は、政治的問題をはらみ、国論を二分するような状態のもとでその開催の是非が問われるようなイベントだったのである。仮に本件イベントがアイドルのコンサートだったと想定してみた場合、その違いは明らかであり、2020東京大会の招致・開催の是非や開催方法についてはきわめて政治性の高い、思想的な問題であり、このイシューについて意思表示をすることは政治的な表現に含まれ、その表現の自由は、一般的な表現行為以上に高度に保護されねばならない。
    しかも、オリンピック招致については、住民投票が必須とされているものではなく(もちろん住民投票が行えないわけではなく、そのような機会が保障されることがめざされるべきではある)、議員や首長の選挙を通じて間接的に意思表示をするしかない。また、いったん招致が決定されてしまうと、開催までの間にどのような事態が発生したとしても、開催を止める方法が限定されてしまう。
    実際に、2020東京大会では、住民は1回も直接的な意思表示を行っておらず、招致がもくろまれた後に、震災、コロナウイルス感染拡大というような、社会全体を震撼させるような事態が発生しているにもかかわらず、開催を見直す機会は与えられなかった。
    そのような中で、2020東京大会に反対するという意思表示を行うためには、直接的な表現を行うしかなく、被告人は「権利のための闘争」として本件所為に立ち上がったのである。


2 被告人の本件所為の表現としての性質

 ⑴ 被告人のこれまでの活動

   ア 被告人は、人生を通じて、野宿者と共に生きる活動に精力を傾けてきた。
     特に、1998年からは、「渋谷・野宿者の生活と生存を勝ち取る自由連合」(のじれん)という団体で活動し、共同炊事、夜回りによる生活状況の確認や応相談、生活保護申請同行などの活動に従事してきた。
   イ その活動の根幹には、支援者・野宿者という区分ではなく、共同で支え合うと言う理念があり、「命と健康を守る安否確認と共に、やはりいろいろなところで追い出しの動きや排除の動きが強まると共に、私たちが支援としてそのまま行動に移すというふうなところではなく、その野宿者と共に、この追い出しや排除に抵抗すると、それを止めていくというふうな運動を、運動というか活動をしていました」
 ⑵ 被告人の活動の延長上にあった「反五輪」の行動
     新国立競技場の建設では、都立明治公園内「四季の庭」で長年にわたって起居してきた野宿生活者が、問答無用の断行の仮処分の手続を利用して追出しが強行された。都営霞ヶ丘アパートも取り壊され、暮らしてきた高齢の住民のコミュニティが破壊された。
     被告人は、「そこに居住している、あるいはその施設の建設に、立地に住む野宿者が排除されることが、(2020東京大会反対運動に参加した)主な理由です」と述べ、緑があってテントを張りやすく定住する者も多かった、都立明治公園内の四季の庭に、最大で40名くらいいた野宿生活者が、新国立競技場の新設工事により追い出されることをどうにかしたい、という気持ちから反対運動に参加したことを明らかにしている。
     メガイベントにおける都市の「浄化」、困窮者の追い出しは、世界各国で行われているが、被告人は、2020東京大会でも、野宿生活者たちが、野宿生活者に対して初めて使われた断行の仮処分という手法がとられ、1回の審尋期日を経て、「大量の警備員や警察官が動員されて、中にいる人たちを、その持ち上げたりしまして、あるいは、こう、荷物を外に持ち出して、強引に持ち出したりするようなこと」をするというような手法で追い出されたことを実際に経験してもいる。
     つまり、被告人にとって、2020東京大会に反対の意思表示をすることは、自分自身がずっと行ってきた活動からそのまま派生する、いわばアイデンティティから切り離すことのできないような自己の尊厳に関わるような思想の表出でもあった。

 ⑶ 現実に被告人が参加した市民による活動
     被告人は、2021年6月6日に行われた、2020東京大会に反対する意思表示をするために、吉祥寺で行われたデモのための公道利用を申請し、自身もこのデモ行進に参加しているが、被告人が反対運動に参加するようになったのは、招致決定前からである。
    特に、2013年、東京での開催が決定された後に行われた調査団の調査に際して、代々木公園に近接する道路の歩道にある野宿者のテントや荷物が排除され、移動されて、何もなかったかのようにされたことについて、調査団に対する抗議行動を行った。
    本件における本件所為は、そのような反五輪の活動の一環として行われたものである。


⑷ 今大会聖火リレーに対して行われた抗議行動
   ア 今大会聖火リレーの特徴
     2021年3月25日、福島県楢葉町広野町所在のJヴィレッジから聖火リレーがスタートした。Jヴィレッジは東京電力株式会社が福島第1、第2原子力発電所の立地周辺自治体に寄贈したサッカー練習場で、原発事故以後は収束作業の拠点に転用されていた。出発地点に選ばれた理由は、「復興五輪」という理念を象徴的に現わすものとされたからだ。リレーのコースは、浪江町水素ステーションなど国の政策の広告塔的な施設を点と点でつなぐ形になっており、復興工事が完了した表通りのみを通過するであった。このことによって、いまだ復興に程遠く除染も不十分で住民の帰還率が低い苛酷な地域の現実を覆い隠すイメージ操作が行われた。
   イ 聖火リレーに対する抗議の意思表示
     同年4月1日、長野市に到着した聖火リレーに対し市民による反対の声が挙がった。NHKはライブストリーミングによる中継中、この抗議の声を伝えないために30秒間音声をオフにした。
     同月、沖縄本島で行われた名護市の市民会館周辺では市民が会場前で抗議行動を行った。
     また、立件されてはいないが、2021年7月4日、茨城県内の公道でのリレーに対して、おもちゃの水鉄砲から水を発射した抗議行動では逮捕者も出た。
     このように聖火リレーに対する抗議は、さまざまな形で全国に波及し、被告人も個人的にそれらの情報に接し、影響を受けていた。

   ウ 抗議の意思表示を行った者に対する弾圧
     しかし、一方で、これら抗議の声を上げる者に対する弾圧も厳しかった
B証人は、2013年初頭から「反五輪の会」のメンバーとして活動していたが、デモや街頭での訴え、集会や学習会、国内外でオリンピックに対する反対運動を行っている人たちとの情報交換・交流、イベントに対する抗議活動などを行う中で、重警備を目にし、さらには、「警察官に取り囲まれて連れて行かれる人に駆け寄ったところ、警察官の人に突き飛ばされて、地面に後頭部を打って出血」するという経験をしている。

⑸ 「象徴的言論」としての本件所為
   ア 「象徴的言論」とは
    (ア)象徴的言論(シンボリック・スピーチ)とは、特定の信念を伝えるための行動の形をとる非言語的コミュニケーションの一種とされ、あるメッセージを、見る人に、それと分かる形で伝える行動をさす。具体的には、バリケードを設置する、旗やバーナーをふる、旗や絵や物(たとえば徴兵カードや政府の指導者を模した人形)を焼く、裸になるなどが典型的なものとされる。
    (イ)最高裁は、猿払事件で、意見表明そのものの制約と、その行動のもたらす弊害の防止を狙いとする制約を区別して論じ、言論と行動を二分して規制を区別する考え方を前提としているようにもみえる。
       しかし、言葉や文字といった純粋な言論に基づく伝達手段のみならず、外形的な行動を伴うことによって、より端的に効果的に第三者にアピールできるということがあり(そのこと自体は誰も否定できまい)、表現行為も第三者に伝えることが目的である以上、何らかの行動が伴うことは例外的なことではなく、「行動を処罰しても意見表明そのものが傷つけられない」という言い方は、単純な二元論から導かれた表現内容中立規制があり得ることを前提として、多様化し続ける表現手段を単純に分類し処罰の対象とすることになり、結局表現の抑圧につながるのではないかが危惧される。
       象徴的言論が、上述したとおり、思想の伝達を目的とした言論によらない態度によって、何らかの思想や見解を表明するものであるとすれば、そこで用いられる象徴とその象徴が用いられた文脈(コンテクスト)から、表現者が表明しようとした主張や見解の内容が明らかになれば、思想を伝達しコミュニケーションする効果を生じるものであって、言語記号と同列に位置付けることのできる言論機能を有する象徴といってよい。
    (ウ)裁判所が、言葉以外の態度に思想伝達機能が備わっていると認めるかどうかについては、その表現者の態度に何らかのメッセージを伝えようとする意図が存在し、周囲の状況においても、それを受け取った者たちによって、そのように理解される蓋然性が高ければ、言語の使用がなかったとしてもそれは「表現」として保護されるべきである。
   イ 爆竹を利用した意思表明
    (ア)今回の本件所為は、上述したような位置付けがなされている本件イベントの開催にあわせて、その開催場所に近接する出入り口付近で、爆竹を鳴らすなどしたものであるから、一般人がみれば、これが2020東京大会に反対するというメッセージを現場で表現したものであることは、一見して明白であるから、当然に「象徴的言論」にあたるといえる。
   (イ)この点について、鵜飼証人は、「私は、今回のオリンピックは、先ほども述べましたように、社会的な弱者、それから災害の被害者を棄民化する、非常に暴力的な性格を持っていたと思います。黒岩さんは、まず、長年、東京の野宿者の支援に関わってこられて、その視点から、今回のオリンピックがどのように招致が決定され、どのように開会準備がされてきたのか、つぶさに御覧になってこられたと思います。しかも、それは、8年間と、非常に長い時間なわけですね。そして更に、そこにコロナという事態になり、これでもオリンピックは中止にならないと。そして、多くの人が自宅で亡くなっていくような惨禍が起きている中で、どうしてオリンピックを祝うことができるのかという、非常に深い憤りをもたれていたのではないかと思います」と、本件所為の「象徴的言論」としての性質をとらえている。
   (ウ)また、門前に立って、被告人とは別途に抗議行動を行っていたB証人も、「東京オリパラを強行をしなければ失われなかった命というのがあると思っていて、コロナ感染患者に対しての医療がもうちょっと、東京オリパラをやらずにそちらのほうに注力できれば、死ななかった人がいると私は思っていて、それに比べて、黒岩さん人を傷つけていないし、というふうに思います。当時、あの当時はほんとに8割の人が東京オリパラに反対しているとも言われていて、言われていても、やっぱり声を上げると言うことは難しかったし、声を上げても聞こえないふりをされていたということがあって、そういうときに爆竹の音というのは、私にとっては、そういう閉じ込められた声を解放する感じの音でもあった、そういう表現だと私は受け止めています」と述べており、閉塞状況のもと、被告人の届けようとしたメッセージは、被告人の意図したとおり、広がったといってよい。

3 本件所為と「表現の自由」との関係

 ⑴ 表現の自由の優越的地位
   ア 日本国憲法は、個人の尊重(13条)を最高の価値とし、個々人の個性・思想のかけがえのなさの尊重がその本質に包含されている。思想はその本質上、外に発表されることを欲するものであるから、個人の尊重は、必然的に表現の自由の尊重を要求するものである。よって、個人の精神作用の所産を外部に発表する精神活動の自由である「表現の自由」は、個人の全人格的な発展、自己実現のために不可欠であって、人間の精神活動の自由の実際的・象徴的基盤として、人権の中でも「優越的地位」を占める。
     特に、政治過程においては、政治・社会に関する知識・思想などが不断に流通し、自分の意見を表明する権利が与えられ、他人の意見を聞く権利が与えられることなしに、選挙権を効果的に行使することはできないし、日常的に政治に参加し、政治に働きかける自由がなければ、主権者は代表者の暴走を次の選挙時まで忍従しなければならないことになるから、政治に関する多種多様な情報が自由に流通している状態を確保することが制度的に保障されていなければならない。また、政治的表現の自由は、他の全ての人権の成立・展開を支える原動力となるものであり、憲法上特別な価値付与がなされているといえる。さらに、多数派や支配層に対して批判的な表現が迫害にあってきたことは、歴史上明らかな事実であり、この点についても特殊な配慮が必要になる。
   イ よって、表現の自由の中でも、特に政治的表現の自由については特別な地位が認められるべきであり、このことは、判例・学説の等しく認めるところである。前述したとおり、被告人の表現は政治的な内容に関するものであり、政治的表現であることが十分に考慮されなければならない。

 ⑵ 表現手段の多様性と選択の自由
    ア 表現手段の多様性の意味
     大衆が利用できる表現方法としては、ネットへの投稿、集会や公道での発言や演説、ビラ配布・投函などがありうるが、それぞれにその伝播の範囲などに特徴がある。
     一方で、本件所為のようないわば大衆的示威行為ともいうべき「象徴的言論」には独自の意義があり、一方で、一定の場所の占有や第三者との接触を伴うことから、恣意的な公権力の規制を受けやすいという性格を有する。
     しかし、公権力が、「別な方法もある」ことを理由にして、表現方法を制約することは許されない。たとえば、「ビラまきが認められているのだからデモ行進を禁止してもいい」「街頭演説が認められているのだからビラまきを禁止してもいい」ということが不当であることは明らかだ。ある表現者にとって、その手段が特別な意味を有するものであるとすれば、その表現者にとってその表現方法をとること自体が表現の自由の内容である。表現内容は、その性質上、表現方法(表現の手段、場所)や受け手によって規定されるものだからである。
   イ 表現方法の選択の自由
     表現者は自分の伝えたいメッセージの宛先・内容にとって、もっともふさわしく表現しやすいと判断する表現方法を選択することができる。
     また、表現の自由の保障の機能として自己実現の契機を重視する立場にたてば、自己が伝えたいと望む情報を自己が望むような形で相手にメッセージとして手渡すこと自体が保護されるべきである。
   ウ 権力による表現方法の制約
     2020東京大会に対する抗議活動においては、前述したように、警察官らによる厳重な警備が行われることで、イベントに対する抗議行動や街頭宣伝が制約され、警察官らが抗議行動参加者に対して手を出して傷害を負わせると言うことまで生じていた。言論に基づいた行動が自由に行われるような状況にはなかったのが現実である。
     そうであるから、手段の選択の幅は広く認められなければ、実質的に表現の自由が保障された状態にあるとはいえない。
   エ 正当性判断の審査基準
     前述したように、本件所為は「象徴的言論」にあたる。これが処罰の対象とされる場合、それが正当行為として保護されるかに関する判断には、憲法適合性が判断される必要があり、その審査基準は、言論と同様に厳格な審査基準によって審査されなければならない。

⑶ 業務妨害罪と表現の自由の侵害
   ア 「業務」に着目した表現行為の封殺
    もちろん、業務妨害罪は、表現の自由の行使を直接規制するものではないが、同罪は構成要件に濫用の可能性がはらまれる犯罪類型であり、これを、市民的自由を抑圧する目的で、広範な捜査権限・起訴裁量のもとで適用してくることは、構成要件該当性が不明確な犯罪類型を新たに作り出すことと同じである。
    本来、価値中立的な法規を利用して、権力にとって都合の悪い言論を弾圧する。本来の趣旨とは離れて、法律が使われるという事態が生じている。
    表現行為の取締りを本来の目的としない法令を、表現行為の取締りに用いるという「脱法的行為」は、法律の重要な機能である「予測可能性」を著しく害する。今まで犯罪とは考えられてこなかったことが、ある日突然「市民的犯罪」として検挙される。この検挙の際、表現内容が問題とされたことはあからさまには示されないが、その本質的な目的が批判的言論の取締りであることを誰もが知っている。何が犯罪であり、何が犯罪でないのか、その境界が著しく不明確となってしまう、このような状況の中では、検挙を覚悟しなければ、批判的言論を発することができない。このことは表現者にとって、きわめて強い圧力となる。
    被告人を逮捕し、起訴することで、批判的言論に対する萎縮的効果が生み出され、2020東京大会に対する反対の意思表示を萎縮させ、表現を制限することになることは当然想定されており、むしろ、そのような効果をもくろんでいたことが窺われる。

   イ 業務妨害罪に問擬することで隠蔽された本質
    (ア)業務妨害罪は、旧刑法第2編第8章の「商業及び農工の業を妨害する罪」を前身とし、経済的基盤としての信用を保護する信用毀損罪と同じ章に規定されていることからすれば、本来、人の経済活動を保護法益とするものである。その保護範囲は、経済的範囲に限定されるものではないとしても、一定の社会活動を保護するものと評価すべきである。
   (イ)被告人の勾留状における「被疑事実」においては、「第32回オリンピック競技大会開催に伴い、公営財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長武藤敏郎が主催し、・・武蔵野陸上競技場において開催中の・・イベント」と本件イベントの内容が簡略に示されていたが、起訴状においては、その説明すら省略され、被告人が妨害しようとした業務については、「同社員らの整理誘導業務」(勾留状)、「同イベント参加者等の誘導、案内等の業務」(起訴状)のように、イベント自体ではなく、イベントの主催者から委託を受けた業者の使用人の業務とされている。しかし、被告人の主観的意図、本件所為から通常人が受領するメッセージからすれば、被告人が意見表明しようとした対象は「本件イベント」ないし本件イベントが付随するものとしてある2020東京大会なのであって、業者がイベント主催者から委託を受けていた、狭い「業務」に対するものではない。
   (ウ)近時、労働争議に関連して、労働組合やその支援者らが行う抗議行動について、抗議活動の制圧のために委託された警備員らの業務を妨害するものとして、「業務妨害罪」として立件する事案が相当数みられる。本件にも共通する問題だが、このように、本来、表現者の抗議の対象とは異なる、表現者により身近に接触する立場にある警備員や整理誘導員が行う「業務」が妨害されたと措定すれば、何らかの混乱が予想されるような事象について警備や誘導などの業務を委託された場合には、その事象そのものについてではなく全て警備誘導業務に対する妨害が成立する、すなわち、実質的には「業務が混乱なく何の問題もなく円滑に終了すること」が保護されるべき利益とされることになり、整理誘導業務従事者との間でなにかしらのトラブルが生じれば、それは、表現者が抗議の対象としていた事象(活動)に何の支障が発生しなくても、業務妨害罪が成立するということになる。
   (エ)しかし、このような事態は、本来の業務妨害罪が予定していたものではない。業務妨害罪の保護法益である「経済活動を中心とする一定の社会活動」を広く超えた「社会活動の平穏」を保護する結論になり、本件所為が有する社会的な意味、要保護性の本質を隠蔽するものとなってしまう。このことは、労働争議に伴う労働組合などの抗議行動やストライキに伴うピケットに業務妨害罪が問擬された例を想定すれば容易に理解できる。
   (オ)前述したとおり、本件所為は、業務妨害罪の構成要件該当性が認められず、仮に認められる余地があったとしても、本来業務妨害罪が予定していた法益侵害性がきわめて乏しい行為である。このような行為についてあえて業務妨害罪に問擬して刑事責任を問うことは、まさしく、表現者の表現活動の取締りを本来の目的としない法令を、表現行為の取締りに用いるという「脱法的行為」といえる。

⑷ 「正当行為」としての違法性阻却
    本件所為のこのような位置づけは法的にいえば、本件所為は「正当行為」として(違法性が阻却され)保護に値するものなのか。「正当行為」に相当しないと解することによって業務妨害罪の成立を認めることは、(業務妨害罪自体が法令上合憲であることは前提としても)適用上違憲の問題を生ずることになる。
    これまで論じてきたとおり、本件所為が象徴的言論にあたるものであり、これは憲法21条の権利行使として「正当行為」にあたり、違法性が阻却される。
被告人の行為について業務妨害罪の成立を認めることはできない。

4 可罰的違法性の不存在

 ⑴ 「可罰的違法性」について考慮すべき事情
   ア 「可罰的違法性」を論ずる意味
     藤木英雄教授は、可罰的違法性の理論とは、刑罰法規の構成要件に該当する形式外観をそなえているように見える行為であっても、その行為がその犯罪類型において処罰に値すると予想している程度の実質的違法性を備えていないときは、定型性を欠き、犯罪構成要件にはあたらないのだということを認めていこうとするものである。換言すれば、構成要件該当性、定型性と言うときには、形式的・外形的判断に留まらず、その罪において予想される、あるいはその罪として処罰に値するだけの定型的な実質的違法性-違法の軽重という量的意味のみならず、法益保護の目的からみた質的面を含めて-をそなえていることが前提とされていると解すべきだ、という主張である。具体的には、刑法の解釈につき、杓子定規な形式的解釈によらず、実質的観点から、合理的・縮小的解釈を行うべきだという主張であって、刑法葉法益保護のための最小限の害悪に止まるべきだという謙抑主義の立場と、実質的・合目的的解釈とをむすびつけたものである」と述べている(『可罰的違法性』(学陽書房・法学選書、1975年)9~10頁)。そして、「同じ犯罪構成要件にあたる行為であっても、違法性が非常に重いものもあれば、違法性が極端に軽いものもあることを認めることを前提とし、その上で、違法性の程度が軽いものについて、はたしてこれがその犯罪構成要件を定めたことによって法が処罰を予想するものだろうか、と言うことを問題にしようとするのが、可罰的違法性の理論の趣旨である」(同書12頁)。
   イ 可罰的違法性について考慮した裁判例の検討要素
     違法な行為であったとしても、その違法性が実質的に考察して処罰に値しない程度であることを理由に犯罪の成立を否定するという、可罰的違法性の犯罪論における機能は、実際の裁判例でどのように果たされているのか。
     前田雅英教授は、可罰的違法性を欠き無罪と結論づけた裁判例が、絶対的軽微性を理由とするものだけではなく、法益侵害行為が存するものの、それが一定の正当な目的を有する事案を対象としている」場合、「労働争議行為や抗議活動に際して行われたものであること、つまり、行為が一定の価値を担っていることが暗黙の内に加味されて、『軽微概念』が弛緩してくると推測される」(『可罰的違法性論の研究』(東京大学出版会、1982年)436~7頁)として、具体的には、①結果・手段の軽微性、②目的の正当性、③手段の相当性・必要性という各要素が検討されているとする(同書531~556頁)。
   ウ 表現の自由に関する最高裁判決補足意見
     なお、表現の自由に関連して本件所為の違法性について検討した、参照すべき最高裁判決が存在する。
    (ア)1984年(昭和59年)12月18日判決は、駅係員の許諾を受けないで駅構内において乗降客らに対しビラ多数を配布して演説を繰り返し、駅管理者からの退去要求を無視して約20分間にわたり駅構内に滞留した被告人らの行為について、鉄道営業法35条及び刑法130条後段違反が成立するとしたものである。同判決の伊藤正己裁判官の補足意見は、「他人の財産権、管理権・・の侵害が不当なものであるかどうかを判断するにあたって、形式的に刑罰法規に該当する行為は直ちに不当な侵害になると解するのは適当ではなく、そこでは、憲法の保障する表現の自由の価値を十分に考慮したうえで、それにもかかわらず表現の自由の行使が不当とされる場合に限って、これを当該刑罰法規によって処罰しても憲法に違反することにならないと解される」「ビラ配布の規制については、その行為が主張や意見の有効な伝達手段であることからくる表現の自由の保障においてそれがもつ価値と、それを規制することによって確保できる他の利益とを具体的状況のもとで較量して、その許容性を判断すべきであり、(中略)この較量にあたっては、配布の場所の状況、規制の方法や態様、その意見の有効な伝達のための他の手段の存否など多くの事情が考慮されることとなろう」という内容である。これも実際のところ、表現の自由が結果として規制される場合に、具体的な比較衡量が必要であるという立場にたったものといえる。 
    (イ)なお検察官は、上記補足意見について「パブリックフォーラムにおける表現行為として尊重されるべきものとして挙げられているのはビラ配布であり、火を点けた爆竹を投げるなどの行為は想定されていない」と主張する。
      しかし、前出補足意見は、ビラ配布行為に対する刑罰法規の適用の適否が問題となった事案であるからビラ配布行為に重点を置いて述べられているに過ぎない。同意見は、
      「ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の場を確保することが重要な意味をもつている。
      特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現のための物理的な場所が必要となつてくる。この場所が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといつてもよい。
      一般公衆が自由に出入りできる場所は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に、表現のための場として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを「パブリツク・フオーラム」と呼ぶことができよう。
      このパブリツク・フオーラムが表現の場所として用いられるときには、所有権や、本来の利用目的のための管理権に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。
道路における集団行進についての道路交通法による規制について、警察署長は、集団行進が行われることにより一般交通の用に供せられるべき道路の機能を著しく害するものと認められ、また、条件を付することによつてもかかる事態の発生を阻止することができないと予測される場合に限つて、許可を拒むことができるとされるのも(最高裁昭和56年(あ)第561号同57年11月16日第3小法廷判決・刑集36巻11号908頁参照)、道路の有するパブリツク・フオーラムとしての性質を重視するものと考えられる。
        もとより、道路のような公共用物と、一般公衆が自由に出入りすることのできる場所とはいえ、私的な所有権、管理権に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。
      しかし、後者にあつても、パブリツク・フオーラムたる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と所有権、管理権とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。」
     と、道路における集団行進を例に挙げつつ表現行為全般との関係でパブリツク・フオーラムに言及しているのであるから、検察官の主張は失当である。
以下、本件について、上記イの各要素を検討する。

 ⑵ ⑴イの各要素について
   ア 結果・手段の軽微性
     第2で既に述べたように、本件所為は本件イベントに何ら影響を及ぼしておらず、A証人の業務に限定しても妨害の結果は生じていない。また、誰かがけがをする、何かが破壊されるといった、派生的な結果も生じていない。その結果、A証人は検察官が被告人に何か言いたいことがあれば言うようにと促されて、「正直、特にはないです。けが人とか、うちのスタッフがけがをしたとか、お客様がけがをしたとかっていうことはないので、その男性の方に、特にもありません」と述べているように、全く被害者としての意識を持っていないのである。
     よって、本件所為には、明らかに、結果・手段の軽微性が認められる。
   イ 目的の正当性
     第3の1及び2で述べたとおり、被告人は、2020東京大会に抗議の意思表示を行うために、政治的表現の自由の行使として本件所為に及んでおり、被告人の目的は正当である。
   ウ 手段としての相当性・必要性
    (ア)相当性
      「象徴的言論」については、そもそも単なる表現ではなく、一定の行為(それは必然的に第三者や周囲に対する一定の影響をもたらす)が前提となっていることから、手段として効果的である、一定の範囲で用いられているということが認められれば、手段として社会的に許容されるものであれば、相当性を認めてよい。
       爆竹を鳴らすという行為で抗議や怒りの意思を表明することは、世界的にも広く行われているものであり、一定の範囲で抗議の手段としても散られている。
       また、B証人は、「実際、黒岩さんを罰したいのは、東京オリパラなんじゃないかというふうに私は感じていて、まあ国挙げての、地方自治体やらNHKやら電通やらマスコミやら、あるいは大企業からスパイダー社のような小さな企業まで巻き込んでの、総力挙げての、そして全国から警察を集めて、また自衛隊も出てきての、そういう圧倒的な力でオリンピック・パラリンピックが強行されて、それに対して爆竹というのは、あまりにも桁違いに小さい、破壊力が小さいと私は感じています」と述べたが、まさにそのとおり、本件所為は、国家の総力を挙げて国家の事業として行われた行為に対する、貧困の側に立つ市民による、せいいっぱいの抗議の意思表示として手段としての相当性が認められる。
    (イ)法益衡量
     「もはや許された範囲を著しく逸脱したもの」のように手段の不相当性を強調すればそれはあまりにも硬直した判断になってしまうため、「具体的目的のためにはどの程度までの侵害が許されるか」という観点から衡量を行うべきである。
         被告人の保護されるべき法益は、憲法上優越的地位が認められた政治的表現の自由である。これに対し、妨害されたという業務は、起訴状によれば非常に限定されたものに過ぎず、しかもその業務に従事していたA証人は業務を妨害されたという明確な意思をもっていない。
        このことからすれば、本件所為によって実現される法益を尊重すべきである。
   (ウ)必要性・相当性
            手段が必要かつ相当なものであったかという点については、行為が目的達成のために必要なものか、あえてその場で行為を行わざるをえなかったのか判断すべきである。
    コロナ禍で2022東京大会に直接的に反対の意思表示を行う場面は非常に限定されたものになった。その中で、被告人は、「そのほうが人を傷つけず、目立った行動であると思ったからです」「柵の中には結構大きなスペースというものがあって、そこで人を傷つけずに、自分のこのオリンピック・パラリンピック、そしていわゆる聖火リレーに対する抗議の意思表示をしようと思いました」として、象徴的言論としての効果と人に傷害を負わさないということを両立し、自分にも容易に実現可能な手段として爆竹を鳴らすという手段を選択したものであり、手段としての必要性・相当性も認められる。

⑶ 小括
   本件は、結果・手段の軽微性が優に認定できる事案であり、しかも前述のとおり、業務妨害罪が本来予定している法益侵害性が認められないから、絶対的軽微性類型に相当するといえる。したがって、その余の要素を検討するまでもなく、可罰的違法性はない。
     仮に、法益侵害性が認められるとの立場に立っても、その程度はA証人の証言に現れたようにきわめて軽微であること、一方、被告人らの保護されるべき法益は、憲法上優越的地位が認められた表現の自由、とりわけ尊重されるべき政治的意味を有する表現の自由であること、手段の相当性が認められることなどを総合考慮すれば、可罰的違法性は認められない。

 

第4 結語

   以上述べたとおり、被告人の本件所為に威力業務妨害罪は成立しない。
被告人は無罪である。


以 上 

「被害者」の業務は妨害されていなかった…最終弁論要旨(前編)

弁護団と「被告人」 第7回公判(2022.7.4)

■武蔵野五輪弾圧(威力業務妨害罪)最終弁論要旨


                             2022年7月4日

東京地方裁判所立川支部 刑事第3部3A係     

                     弁護人      栗 山  れい子 

                     弁護人      山 本  志 都 

                     弁護人      石 井  光 太 

                      弁護人(主任)  吉 田  哲 也 

 

【救援会より】

 以下、弁護団最終弁論は、読みやすくするため、【証拠番号】の記述などを削除してあります。また、必要と思われる箇所には(※救援会注)という記述をつけてあります。

 弁論に登場する人物として以下あげておきます。

●A証人…起訴状で記載された、「業務を妨害された」というイベント会社社員。第2回公判で検察側証人として出廷。

●株式会社スパイダー…A証人が所属するイベント会社。聖火リレー実行委員会より、当日のイベント運営の業務委託を受けていた。

●B証人…当日現場で、被告人の黒岩さんとは別に抗議活動を行っていた市民として、当日の警備状況、黒岩さんの抗議、その後の状況を見ていた。第3回公判で弁護側証人として出廷して証言。

●鵜飼証人…鵜飼哲一橋大学名誉教授。オリパラの問題性を中心に、第4回公判に弁護側証人として出廷して証言。

 以上、加筆・訂正した部分のすべての責任は救援会にあります。

 

第1 前提事実

1 2021年7月16日、武蔵野陸上競技場では、東京オリンピックパラリンピック聖火リレーDay8が開催されていた。本件イベントは、2020年東京オリンピックパラリンピックに関連するイベントである。

2020年東京オリンピックパラリンピックは、本来、2020年に開催することを予定していたが、2020年1月より新型コロナウイルスの感染が拡大し、開催が1年延期され2021年に開催された。そして、東京オリパラの聖火リレーを公道で行えないため代替手段として本件イベントが開催された。

聖火リレーは、オリンピックの開会式で点火する炎をもってリレーするというオリンピックに関連しその前段をなすイベントで、開催都市以外の地方をリレーしていくことで全国的な雰囲気が高揚していくとされている。

2 被告人は、1990年代から野宿者を支援する活動をしてきた。そして、オリンピックといった大型イベントの開催にはそれに伴う再開発により野宿者が排除されることから、2013年から東京オリパラの招致に反対する活動をしてきた。

そして、東京オリパラの開催に伴う新国立競技場の建設においても多数の野宿者が排除されることとなり、被告人は東京オリパラの開催には反対の立場を取ってきた。

また被告人は、東京オリパラは、福島県原子力発電所の事故が収束をせず、新型コロナウイルスの感染が拡大する中での開催となることから、オリンピックを開催できる状況ではないとの理由でも東京オリパラの開催に反対してきた。

そして、こうした東京オリパラに反対する活動の一環として、2020年6月6日には、JR吉祥寺駅の前で東京オリパラの開催に反対するデモに参加するなどしていた。

3 本件イベントの会場であった陸上競技場は、武蔵野総合体育館と隣接しており、体育館敷地と公道との境である体育館の入り口が本件イベントの入退場口と使用されていた。なお、体育館及びその敷地は通常時は出入りが自由に行える場所であり、本件現場にも普段は柵は置かれていなかった。

しかし、2021年7月16日においては、陸上競技場及び体育館周辺は早朝から多数の警察官が配備され厳重な警備にあたっていた。体育館敷地内には警察車両が停められ、警察犬が出動するなどしていた。 

また、証人A(※救援会注:「起訴状」で業務を妨害されたというイベント会社社員。検察側証人として出廷)を含めたイベントスタッフの間でも、本件イベントやオリンピックに対する抗議活動が行われることは予測されており、これに対する対応についても本件イベント開催前にその方針が話し合われていた。

4 本件イベントは、午後2時28分に入場が始められた。その後も、何回かに亘って入退場が繰り返されていた(※救援会注:以下現場の状況に関する記述は、主に証拠採用された警察が設置した監視カメラ映像の分析、ならびに当日その場にいあわせた弁護側証人Bの証言に基づく)

そして、15時45分頃からは、体育館に近接する歩道で2020東京オリンピックの開催に反対する市民が拡声器を使い抗議活動を行っていた。

5 Aは、被告人が爆竹のようなものを持っていることに気づいたことから、被告人に声をかけ、体育館の出入り口の柵の内側にいる制服の警察官に手招きをした後、被告人の方を振り向いたときに爆竹が鳴らされたと証言している。また、爆竹の音については、「多分ちょっと僕も一瞬びくって、びっくりはしたんだと思います。」と感想を述べている。

5 その後、Aは、被告人が体育館の出入り口に置かれていた柵に手を掛けたところを、後ろから体を押さえた。被告人は、警備にあたっていた警察官により身柄を確保された後に柵の内側に連行された。

なお、Aは、「(退場者を)20分ぐらいは待たせたんではなかろうかと思います。」と感想を述べた。

 6 午後5時14分に被告人が警察官に身柄を確保された後、本件競技場から退出したイベント参加者の人数は以下のとおりである。

午後5時19分14秒に12名が退場し、同分38秒にも2名が退場、21分8秒にも1名が退場した。 

午後5時22分から23分にかけても退場者が集中し、34名が退場した。

午後5時27分から28分にかけて14名が退場し、午後5時29分から35分にかけては40名が退場した。そして、午後5時36分には最後の退場者と見られる人物が退場して、退場作業が終わっている。  

 

第2 公訴事実について

 1 争点

   本件においては、被告人が爆竹に点火して体育館敷地内に投げ入れて破裂させ、バリケード(プラスチックの柵であり、以下、単に「柵」という)を乗り越えて敷地内に立ち入ろうとした事実に争いはないが、公訴事実中、被告人が、「8DAYSの開催を妨害しようと考え」たとされる点、「威力を用いた」とされる点、「参加者の誘導、案内等の業務に従事していた株式会社スパイダー社員Aらに同業務の中断を余儀なくさせ」「同人らの業務を妨害した」とされる点は争点である。

 

 2 被告人が威力を用いた事実はない

 ⑴ 検察官の主張

検察官は、「Aらをはじめとする本件イベントスタッフら複数名が周囲にいる中、点火した爆竹を体育館敷地内に投げ入れて破裂音を生じさせ、バリケードを乗り越えて同敷地内に侵入しようとした」こと(以下、「本件所為」という。)が「人の意思を制圧するに足りる勢力」にあたり「威力」に該当することは明らかであると主張する。

 (2)  最高裁判例

しかしながら、

ア 検察官が引用する最二小判昭28年1月30日刑集7巻1号128頁は、「威力」の規定についてより詳細に「犯人の威勢、人数及び四囲の情勢よりみて、被害者の自由意思を制圧するに足る犯人側の勢力」としている。

イ そして「個々の行為がこれに当たるかは、犯行の具体的態様、程度、当時の状況、行為者の動機、目的、業務の種類、性質、内容、被害者の地位等の諸事情を考慮」して判断するものとされている(最高裁判所判例解説平成4年刑事編149頁)。

 ⑶ 立証の欠如

しかるところ、検察官がその論告において上記⑵イの諸事情について摘示するところは「本件イベントスタッフら複数名が周囲にいる中」という僅か1点のみに止まっている。

すなわち上記⑴の検察官の主張は、被告人の行為の具体的態様、程度、四囲の状況を含めた当時の状況、動機、目的、業務の種類、性質等の多数の諸事情について一切顧みることのないまま、本件所為が「威力」に該当することは明らかであるという「結論」のみを摘示しているに過ぎない。

したがって本件所為が「威力」に該当することの立証は何らなされていないのである。

 ⑷ 本件所為は「威力」にはあたらない

ア 被告人の威勢、人数、犯行の具体的態様、程度等

(ア)本件所為は被告人単独で行われたものであり(本件所為時に本件現場付近で抗議行動をしていた市民らがこの本件所為に加勢したという事実は認められない)、多衆の勢力を利用したものではない。

(イ)被告人が使用した爆竹は、子供であっても雑貨店や量販店の店頭で容易に購入できる玩具であり、その購入に際して身分証の提示や使途の申告等を求められることもない。被告人が本件所為に使用した爆竹も所謂「百均ショップ」のダイソーで購入したものである。

爆竹に点火して破裂音を発生させることが中国においては祝事に際してなされていることは有名である。また本邦においても爆竹は子供の遊戯のみならず、地域によっては神社の祭礼に際して境内で爆竹を鳴らす、あるいは爆竹を鳴らしながら神輿を担ぐ、あるいは精霊流し等において爆竹を鳴らして破裂音を生じさせる用法で使用されている。本件で被告人が行った所為もこれらと同様の用法によるものである。

(ウ)被告人が点火した爆竹は一束程度であって、投擲行為は一回のみに止まる。点火した爆竹の破裂音が鳴った時間は甲16右上の時刻表示で17:14:05ないし17:14:07の2秒弱でしかなく(しかもその最初の1秒弱は、被告人が未だ体育館敷地内への投擲を行う前であって爆竹を未だその手に握持している時点で既に複数の爆竹が破裂して破裂音が鳴っている)、被告人の投擲を制止しようとしたAも「一瞬びくって、びっくりはした」とする程度の軽微な影響を及ぼすものでしかない。

(エ)上記爆竹の投擲の態様も、Aを含め本件イベントスタッフに向かって投げつけたものではなく、点火して既に鳴り始めた爆竹一束を被告人の利き腕ではない左手に持ったまま、制止しようとするAの身体をすり抜けるようにして避けながら1,2歩前進して柵の手前1m程度の位置まで歩み寄り、その位置から柵の内側1ないし2メートル程度先の体育館敷地内の人がいない「けっこう大きなスペース」に向けて、体と左腕を伸ばして左手に持った爆竹を軽く押し出すようにして投擲したものであり、この投擲の態様が威圧的であるということはできない。

(オ)被告人が乗り越えようとした柵はその高さが人の腰くらいまでしかないプラスチック製の簡易軽量な物であって、成人男子がこれに手をかけて乗り越え、あるいは人力で移動させようとした場合においても、さほどの腕力も威嚇的な動作も要するものではない。

そして被告人は爆竹の投擲後、直ちに柵の上縁に手をかけて体を柵の上に乗り上げてこれを乗り越えようとしたものの、柵を乗り越えていないことは勿論、脚部を柵の上縁に掛けた状態はおろか腹部ないし腰部を柵の上縁に乗せてその上半身が柵の内側に乗り出しているような状態にさえ至っていない。

() しかも被告人は直ちに体育館敷地内から走ってきた私服警察官に押し戻され、その直後に柵の外側の歩道上において制服警察官に取り押さえられたのであり、被告人が柵の上縁に手をかけてから取り押さえられるまでの時間は7秒ないし8秒程度であり、被告人が爆竹を投擲してから警察官によって制圧されるまでの時間は通算しても僅か10秒程度の出来事であるに過ぎない。

(キ)上記(ア)ないし(カ)のとおりであるから、Aも本件イベントの運営は基本的には滞りなく進んで終わった旨を証言し、続けて「最後、17時過ぎくらいにちょっと入口のところで少しだけ事件というか出来事があったので、それによって若干客を少し待たせたり等のことは発生したが、おおむねはうまく進行した」旨を証言しているのである。

すなわち、本件の起訴状に被害者としてその氏名が記載されているA においてさえ、本件所為は「少しだけ」のものであり、かつ「事件」ではなく「出来事」であると評価されているものでしかない。

イ 四囲の情勢、当時の状況等

(ア) 本件体育館並びに競技場は個人の邸宅ではなく、普段は出入りの自由な公共の施設である。そして体育館や陸上競技場はその競技がなされる際に陸上競技用のスターターの使用、競技に対する声援等の応援所為、場合によって歓声・ブーイング等もなされるのであるから、静謐の維持が厳に求められるような属性の建造物ではない。

(イ) そして本件現場たる上記体育館並びに競技場の入り口付近もまた、

① 周囲に市役所等の施設がある市街地に存在することに加え、

② 本件現場に面した道路は路線バスも通行する交通量の多い道路であってそれら自動車の走行音等も相当程度聞こえることに加え、

③ 本件所為時に近接する時間にはそれぞれ順に武蔵野市の防災行政無線と思しき午後5時を知らせるチャイム、並びにコロナウイルス感染症緊急事態宣言についてのアナウンスが、いずれも本件現場付近に設置された屋外拡声子局(スピーカー等)によって大音量で流されている。

したがって本件現場は喧騒のある市街地であり、しかも本件所為がなされた時間は夏季の平日たる7月16日の17時過ぎであって未だ日没にも至っておらず、人通りの途絶えた閑静な夜間というものではないのだから、静謐な環境にあるものでも静謐が求められる環境でもない。 

(ウ) しかも当時の本件体育館前歩道上では、イベントに反対する市民らによる抗議行動がなお継続中であった。

同市民らによる抗議行動の態様はプラカード等を持ったスタンディングをするだけではなく、拡声機を用い機械的に増幅された音声をもって本件イベントの会場たる陸上競技場のみならず通行人にも聞こえるように抗議アピールの内容を広く伝達しようとするものであり(被告人による行為の直前にも拡声機を用いてのアピールがなされていた)、したがって本件所為がなされた当時においても本件競技場周辺が静謐な状況にあったものではなく、また静謐が厳に求められる環境でもなかった。

() 本件イベントにおける警察による警備状況等

① さらに、「ちょうどこの日のイベントについては、どういうわけか制服警察の方がかなり多く、会場内、会場外も含めていらっしゃったので」と、これまで種々のイベント運営に携わったAも訝しんでいるとおり、本件イベントの当日の本件体育館周辺は警察犬まで投入した不自然なほどに厳重な警察の警戒のもとにあった。

② これら多数の警察官を動員してなされた警察による警備の態様は、本件体育館前歩道において抗議のアピールを行なっていた市民らに何ら現行犯的な状況が存在しないにもかかわらずその市民らの動向を容貌も含め撮影する違法行為(昭和44年12月24日最高裁大法廷判決参照)を間近で繰り返し、この違法行為に対して市民らから抗議がなされても一向に改めようとしないというものであり、同抗議行動に対して極めて敵対的かつ威嚇的なものであった。

③ そうであるから、本件所為がなされた当時その場所にいたAを含む本件イベントスタッフは、

ⅰ 本件イベントに際して制服私服の多数の警察官(警察犬も)が配備されていること

ⅱ 現に多数の警察官が本件現場の間近である体育館敷地内並びにその周辺で警戒中であること(体育館敷地内にいた警察官は、Aにおいて手招きすれば呼び寄せることができると認識する程度に本件現場との至近において警戒を行っていた。)、

ⅲ その警察官らが抗議行動をしている市民らに対し上記の違法な撮影行為をはじめとする敵対的・威嚇的な警備を繰り返していたこと、

ⅳ 自分たちでは対応しきれない「不測の事態」が生じたとしてもそれら警察官が即座に駆けつけその警備力を行使して制圧することは確実であること、

等を認識し、したがって終始心理的な余裕をもってその業務を行っていた。

④ このことに加えAは、株式会社スパイダー(※救援会注:Aの所属するイベント会社)が委託を受けた業務たる本件イベントの「運営」、具体的には「受付、場内の誘導、案内、駐車場の誘導」について同社の65名から70名という多数のスタッフの「統括」としてそれらに指示を出す立場にあり、本件現場のある体育館敷地内だけでなく、敷地の外辺りも対象エリアとして巡回し、オリンピック開催に抗議する市民らの動向にも目を配るほか客の通行の妨げにならないよう注意するようにスパイダー社スタッフに指示する等、スパイダー社の広範な業務全般に指示を出す立場にあった。

⑤ さらに「敷地の外でやられる分に関しては、黙認と言ったら失礼な言い方ですけど、特に何もこちらから規制をするようなことはしないでいこうというのは我々の共通認識です」、「全員、みんなで話し合って、こういう方向でいこうというふうに決めました」というのであるから、本件イベントの主催者もAを含め本件イベントに携わるスタッフも、東京オリパラの開催に反対する市民によって本件イベントに対する抗議行動がおこなわれることを事前に認識ないし予期していただけではなく、これを明確に警戒すべき対象としたうえで、その抗議行動が上記「敷地の外でやられる分」等の範疇を超えた場合には(警察の協力を得て)制止ないし阻止することとしてそのような事態への対処もまた事前に確認し共有していた。

すなわち、Aのみならず、本件所為の当時に本件現場にいた本件イベントのスタッフにとっても、本件所為は「青天の霹靂」ではなく「これありかし」であったのであり、想定外の事態が発生したというものではない。そのため、本件所為の前に被告人が爆竹を手にしていることに気が付いたAは即座に体育館敷地内にいた警察官を呼び寄せるに至っている。

(オ) 本件所為がなされた当時の上記の各状況は、仮に本件所為に威嚇的あるいは威圧的な要素が存在していたとしても、それらを著しく減殺する重要な事実である。このような状況下でA(あるいは本件現場にいた他の本件イベントスタッフ)の立場にある一般人が本件所為に直面したからといって、それによって心理的な威圧感を覚え、円滑な業務の遂行が困難になるということはできない。現に、

ⅰ 被告人による爆竹の投擲直後、Aは柵を乗り越えようとした被告人の身体を背後から抱き着くようにして押さえ、

ⅱ A以外の別の本件イベントスタッフもまた、市民らが警察官による被告人の逮捕に抗議してその制圧行為を撮影して記録しようとした際には、手にしたバインダー状のものを市民らの撮影機器の前にかざしてその撮影を妨げて上記制圧行為を積極的に幇助する

等、本件所為が面前でなされた直後においてもその意思を抑圧されることなく迅速に被告人を制止しあるいは警察官に協力して行動することができる状況にあり、また現にそのように行動している。

したがって、らがその業務の円滑な遂行が困難となるような心理的な威圧感を覚えていたという事情は認められない。

ウ 行為者の動機、目的

    そして、被告人は本件イベントを妨害するために本件所為を行ったのではない。 

被告人の目的は、東京オリパラの開催に対する抗議の意思を非言語的手段によって表明するところにある。

(ア) 被告人は本件イベントが終わる時間を自分で調べ、本件イベントが終了している時間に到着するように見計らって本件体育館に赴いている。

(イ) このように被告人が行動した理由は、「抗議行動を行なっている人はもう帰っていると、終わっているというふうにして、自分一人の意思をもってその抗議行動をやるというふうに考えた」(被告人調書)ことに加えて、「妨害するつもりではなく、抗議のつもりであるからイベントが終わった時間を見計らって現地に向かった」(被告人調書)というとおり、被告人が本件所為を行った目的が東京オリパラ及びその前段である聖火リレーに抗議の意思表明をするところにあったことによるものである。  

  (ウ) 被告人が本件体育館敷地前に到着して本件所為をした時間は17時14分頃であるところ、この時間はイベントが終了して参加者を退場させるタイミングであったというのである。

このことは本件イベントを妨害するつもりではなく、抗議のつもりであるからイベントが終わる時間を見計らって現地に向かった旨の被告人の主張と合致するものである。

(エ) 検察官はその論告において、被告人が本件所為を行った当時の本件現場付近にはAら本件イベントスタッフ、並びに抗議行動を行なっていた市民らがなお残っていたのだから、それらを見た被告人において本件イベントが既に終了していたと認識し得るような事情はなく、したがって被告人の主張は信用できない旨を主張する。

① しかし、本件イベントに限らず各種イベントの終了に際してはイベントが終了次第に直ちにイベント会場入り口に配置されていたスタッフが即座に撤収するとは限らない。参加者の退場の誘導・交通整理のみならず、会場内部の片付け、場合によっては資材の搬出等が終了するまでは関係者以外が立ち入らないようにスタッフが相当程度の時間会場入口付近に残存することなど稀ではない。現に、本件イベントの警備委託契約においては当日の午後8時までが契約期間とされている。

② このことに加えて、どのようなイベントにおいても参加者が退場するのはイベントの終了後になるのであるから、Aらのように退場者の案内、誘導の任にあたっているスタッフが、イベントの終了した後においてもなおイベント会場入り口付近に相当時間残留していたとしても何の不思議もない。

③ そして被告人のみならず、抗議活動をしていた市民らも本件イベントが終了した正確な時刻、終了してからどのくらいの時間で参加者がすべて退出するかなどその時には知る由もない。

そもそも、上記市民らが本件会場付近でアピールをしていた目的は、東京オリパラの問題性を広く市民や通行人に訴えることにあるのであるから、本件イベントが終了した後であってもなおしばらくの間通行人や会場から退場してくる参加者に向けて自己の主張をアピールするために本件イベント会場入り口付近で抗議行動を継続することは何ら不合理でも不思議でもない。

④ 以上のとおりであるから、本件のイベントスタッフや抗議行動をしている市民らがイベントの終了後もなおしばらく本件現場付近に残留していたとしても、それらの事実は、本件所為に際して被告人において本件イベントが未だ終了していないと認識した筈であるとすることの徴憑となるものではない。

検察官の主張は、本件イベントが終了しさえすればその主催者やスタッフ、警備を担当する業者はおろか東京オリパラや聖火リレーに反対して抗議行動を行なっていた市民でさえも「やれやれ終わったぞ」とばかりにステレオタイプなサラリーマンよろしくさっさと引き上げることが当然であるという思い込みを所与の前提とするものである。しかしこの前提自体が現実離れした思い込みでしかないことは既に述べたとおりであり、畢竟「お役所仕事」的な発想に基づく思い付きの域を出るものではない。

(オ)また検察官はその論告において、本件行為の目的が本件イベントの開催に対する抗議の意思表明なのであれば、本件イベントが終了してから抗議を行なっても、抗議の対象が既にないとしたらいわば「後の祭り」であって意味がないから被告人の主張は不自然であって信用できない、とも主張する。

 検察官の立論は大意

ⅰ 本件所為の目的は本件イベント開催に対する抗議の意思表明である、

 しかし終わってしまった本件イベントに抗議することは「後の祭り」であるから意味がない、

ⅲ だから終わってしまったイベントに抗議する目的であったという主張に信用性はなく、被告人は本件所為の際に未だ本件イベントは終わっていないと認識していた筈だ、

ⅳ したがって本件所為の目的は本件イベントを妨害することである、

というものである。

しかしながら、

② まず、そもそも被告人は本件イベントではなく、東京オリパラ、ひいてはオリンピック全般(その前段である聖火リレーを含む)に反対して本件所為を行ったのである。

このことを捨象して「被告人の目的が本件イベント開催に対する抗議の意思表示」と本件所為の目的を故意に狭く設定することは失当であり、本件イベントが終われば「後の祭り」などと評したところで完全に的外れである(後に問題だらけの「お祭り騒ぎ」御本尊が控えているのである)。

したがって上記①ⅰの検察官の立論は失当である。

③ そして既に上記(エ)の③で述べたように、自己の主張を伝達する抗議の目的であれば、たとえ本件イベントが終了した後であっても、終了からさほどの時間的隔離がない時点においてイベントの主催者、スタッフのみならず通行人や会場から退場してくる参加者に向けてその会場付近で抗議のアピールをすることは何ら不合理でも不思議でもない。

むしろ被告人の会場への入場が拒まれる蓋然性の高い本件イベントの場合は、本件イベントの開催中にその会場たる陸上競技場から離れている本件現場でアピールをするよりも、イベントが終了して退場する参加者が出てきた際にアピールをする方がその意思表明を実効あらしめるとさえ言い得る。

したがって上記①ⅱの検察官の主張も失当である(そもそも検察官の所論は、これに拠る場合には事後的な抗議はすべて「後の祭り」ということになりかねない放言であり、この意味でも失当である)。

④ 上記①のⅲ並びにⅳの立論は、同ⅰ並びにⅱの立論をその前提とするものであるから、理由なきものに帰するものである。

⑤ そもそも、被告人は本件イベントの終了時刻を見計らい、同終了後に本件現場に赴いているのだから、同人に本件イベントを妨害する目的があった、としようとすること自体に無理があるのである。

 ⑸ 小括

以上のとおりであるから、本件所為が「被害者の自由意思を制圧するに足る犯人側の勢力」と評価しえないことは明らかであり、被告人が「威力」を用いた事実は存在しない。

 3 本件所為がAらの業務を妨害した事実はない

⑴ 検察官の主張

検察官は論告において、「このような本件行為が本件イベントの参加者等の入退場用出入り口のある本件現場で行われた場合、本件イベントの参加者等に係る誘導等の本件業務に従事していたAらが、自らあるいは警察官らとともに、本件行為やこれを行った被告人に係る対応等を余儀なくされ、ひいては本件業務が妨害されることは容易に想像できる。」として、本件所為によるAらの業務に対する妨害の抽象的危険を論じたうえ、「実際、本件においても、退場する参加者等を約20分待機させざるを得なくなるなどAらの本件業務は中断を余儀なくされている。」として、本件における具体的業務妨害の結果が生じていると主張する。

しかし、以下に述べるように、本件所為は業務妨害の抽象的危険を有するものではなく、また、本件所為によって妨害の結果も生じていない。

 ⑵ 本件イベント本体への影響

本件イベント本体については、検察官は業務妨害の対象業務としていないところであるが、本件所為が本件イベントに何ら影響を及ぼしていないことを指摘しておく。

本件イベントは、本件当日の14時30分ころから17時30分ころまでの時間帯で、調布市三鷹市武蔵野市の順で、関係者の入れ替えを行いながら、トーチキス等を行うことが予定されていたが、イベント自体は被告人が本件現場に登場する前に終了しており、被告人が本件所為を行ったのは、イベント参加者を退場させるタイミングであった。したがって、本件所為は、本件イベント本体に何ら影響を及ぼしていない。

 ⑶ Aらの業務への影響

ア 「Aらの業務」について

先ず、妨害されたとされる「Aらの業務」について検討する。

 Aは、勤務する()スパイダーが委託を受けた業務について、本件イベントの「運営」、具体的には「受付、場内の誘導、案内、駐車場の誘導」と説明したうえ、出入り口のある体育館敷地内だけでなく、敷地の外辺りも対象エリアとし、オリンピック開催に抗議する市民らの動向にも目を配り、ほか客の通行の妨げにならないよう注意するようにスパイダー社のスタッフに指示していた。

このように、()スパイダーが請け負った「Aらの業務」は、単に「本件イベント参加者等に係る誘導等の業務」に限定されるものではなく、本件イベント全体をスムースに進行させるための広範な業務を担当していた。警察官を除いた運営関係者7,80名から100名中、65名から70名という大多数の人数を()スパイダーの関係者が占めていたということからも、本件イベントにおける「Aらの業務」が広範囲に及ぶものであったことが推認できる。そして、その中には、当然予想されるオリンピックの開催に抗議する人々への警戒・対応も含まれ、更には本件所為のような事態が生じた場合の対応も含まれていたというのである。

イ 業務妨害の抽象的危険の不存在

被告人の本件所為は、爆竹を投げる、柵を乗り越えようとするものであるが、爆竹に点火されたのは1回で破裂音も連続して1回鳴っただけであり、被告人は柵に手をかけて体を持ち上げようとするもすぐに羽交い絞めにされて取り押さられており、いずれの行為も一瞬の出来事である。これによって直接Aらの業務が妨害される余地はほとんどなく、業務妨害の抽象的危険もない行為というべきものである。

これに対して検察官は、本件所為によって、Aらが、自ら及び警察官らをして被告人対応を余儀なくされ、引いてはAらの業務が妨害されると主張する。

確かに、本件当日本件現場では、警察官によって被告人の身体制圧、身体拘束が行われ、また、警察官によって公道と敷地との境界線付近に規制線が敷かれ、当初設けられていた出入口からの入退場が制約される場面が生じている。しかし、これらは、被告人に対する本件当日の警察官の極めて過剰な対応によって生じたものであって、本件所為自体の持つ業務妨害の抽象的危険とは別物である。検察官の主張は、本件当日の過剰な警備状況を無視するものであり、当たらない。

ウ 業務妨害の結果の不発生

(ア)退場する参加者を20分待機させたという点

退場するイベント参加者を20分待機させたとの証言は、検察官主尋問におけるA証言におけるものである。

Aらのどのような具体的業務が妨害された結果、イベント参加者が20分待機することとなったのかについて検察官が一切明らかにしていない点は一時措いて、

① この「20分」という時間が証言されるまでの間、Aは、「上で退場する人を止めていました。一瞬止めていましたので、」「上で止めていたのは、お帰りになるお客様を一瞬止めていました。」(A調書)などと、およそ「20分」という時間にそぐわない証言を繰り返している。そのうえで、唐突に「20分ぐらい」という時間が証言されたものであるが、退場者を待機させた時間が20分であるとする具体的根拠は示されてもいない。

② 他方で、17時19分から21分にかけて武蔵野市長その他の退場者があり、その後も17時22分から23分、及び17時29分から35分の時間帯に、それぞれまとまった退場者がみられるのである。本件事件の発生が17時14分、被告人が逮捕され本件現場付近から離されたのが17時15分であるから、ほぼ事件発生から20分以内に退場が完了したといえるのである。

③ 従って、退場者を20分待機させたというA証言は信用できないものであり、逆に、「一瞬止めた」というAの証言が、実態を正しく表現しているものである。

  なお、本件イベントの予定表によれば、武蔵野市関係の参加者の退場完了時刻は17時36分と予定されており、上述の通り本件当日の退場時刻に予定よりの遅れは生じていない。

(イ)Aらの業務を中断させたとの点

① 前述の通り、「Aらの業務」は、本件イベントに対するオリンピックの開催に抗議する人々への対応を含むものである。したがって、Aらが被告人の行動に対応すること自体は、業務の中断ではなく業務の遂行であって、中断を論じる余地はない。

② その他の「Aらの業務」に対して被告人の行動が与えた影響であるが、警察官が被告人を取り押さえて体育館敷地内に連れて行った後の行動についてAは、「柵が倒れたとかちょっとしているので、それをちょっとしまったりとかっていうので、我々の業務のほうへ、なるべく通常業務のほうへいこうということにしました。」「一瞬止めていましたので、・・・お客様をどういうふうに出そうかというところで、通常業務に戻ったと思っています。」(A調書)と述べている。

③ しかし、実際には倒れた柵はなく倒れそうになった柵(被告人が乗り越えようとしたものではなく、制服警察官が制圧した被告人を柵の前から引き剥がす際の勢いで倒れそうになったもの)が他のスタッフによって元に戻されているのは17:14:14のことであるし、しかも乱れた柵を並べ直す作業は同号証の17:14:28すなわち被告人による爆竹の投擲行為から20数秒後には完了している。これらはいずれも取り押えられた被告人が敷地内に連行される前の出来事である。

  その間Aは、既に警察官によって制圧されている被告人に対する逮捕行為を手伝うような素振りを見せ、柵の内側の体育館敷地内にいるスタッフに何か指示を出した他には、柵の外側の歩道上で特に何かをするわけでもなく、柵から出ようとするイベント参加者がいれば手招きしてその退場を誘導する等、同人の言う「通常業務」も滞りなく行っていた。

そして被告人の本件所為の開始から約1分後には柵から体育館敷地内へと入り、その後階段の方に向かって行って「通常業務に戻った」(A調書)としている。

  そうすると、Aらは本件発生後2ないし3分程度後には同人の言う「通常業務」に戻っていると思われるのであって、しかもAは被告人が取り押さえられた後、柵の中に入るまでの間、特段何かの業務に忙殺されていたわけでもない。

したがって本件所為によってAらの「通常業務」が中断することはほとんどなかったといえる。

(ウ)以上、本件所為によってAらの業務に対し、実質的妨害の結果は生じていない。 

    そうであるから、本件所為によってAらがその円滑な業務の遂行が困難となるような心理的な威圧感を覚えていたということもまたできないのである。

4 小括

   以上のとおりであり、本件所為が威力業務妨害罪の構成要件に該当するということはできない。

本当に裁かれるべきは誰か?…「被告人」黒岩大助 最終意見陳述

武蔵野五輪弾圧裁判 「被告人」最終意見陳述書

                                                    2022年7月4日 黒岩大助

                                                    於:東京地裁立川支部

 この意見陳述にあたって最初に言っておく。私に対して問われている「威力業務妨害」は無罪である。その理由について以下、述べる。

1、東京五輪(以下、オリ・パラ)強行にあたり、福島原発事故で棄民化された被災者とその影響について

 昨年11月26日の初公判における冒頭意見陳述で、コロナのパンデミック状況と、原発事故被災者・避難者の棄民化状況においての東京オリ・パラ開催強行を厳しく断罪した。オリ・パラ福島原発事故の被災者に対しもたらしたその後の影響について、まず触れたい。
 原発立地である大熊町双葉町は、事故11年経っても帰還困難区域であり避難指示が出されている。そのうち一部がオリ・パラに併せ「特定復興再生拠点」となり避難指示は解除されたが、今なお多くの人たちが各地の避難場所に生活を構えざるを得ず、故郷に帰りたくとも帰れない。原発事故以降、生まれたこどもたちは故郷を知らずにいる。
 私は今年3月11日、東日本大震災による原発事故の日に福島県を訪問し、大熊町双葉町を訪れた。

 大熊町のある大野駅周辺のほとんどの家屋には「解体除染」の紙が貼られて無人であり、それに従事している労働者だけがいる。そして、所々に汚染土を入れた袋がまだ残っている。
 その後、町役場で行われた追悼式に赴いた。消防隊の鎮魂ラッパが突然、進軍ラッパに変わったことに驚愕した。被災者、避難者たちに「復興」を急かす進軍ラッパであろうか。

 また、町役場の敷地に衆議院議長大島理森の名で建立された「感謝」との碑があった。主語がなく、誰が誰への感謝なのか解らない。「原発事故はアンダーコントロールされている」と嘘をついてオリ・パラを呼び寄せたことに「感謝」すると言っているのか?そのために棄民化に甘んじてくれた福島の人たちへの「感謝」の言葉なのか?この碑はいみじくも現天皇即位の日に建てられた。
 隣駅の双葉駅のそばでは、来年4月に向け新興住宅の建設工事が行われていた。その看板には、故郷に戻る人たちはもちろん、「フロンティア精神あふれる人たちの移住を歓迎する」とあった。

 そして今から1か月前の6月12日、福島原発の西20キロにある葛尾村の一部が避難指示を解除され2世帯の人たちが戻った。避難先との二重生活だが、故郷が忘れられないという。棄民と復興、そして「感謝」、オリ・パラ以降も福島の人たちは国策に翻弄されている。
 また、原発汚染水の海洋放出問題についても述べておく。事故を起こした原発を冷却するために放水してきたが、その貯蔵タンクが容量を超えるとして、汚染水の海洋放出をオリ・パラ開催年の2年後に行なうことが閣議決定された。政府は、来年4月にも海洋放出を強行することを目論んでいる。オリ・パラが終わり、政府は漁業組合や各自治体などを説得しているが、猛反発を喰らっている。これらの人たちの生活破壊も、結局は原発事故の隠蔽とともに準備されてきたオリ・パラがもたらしたものだ。
 そして、この項の最後に怒りを込めて言わせていただきたい。

 この最終意見陳述書執筆中の6月17日、原発事故の被災者、避難者たちが損害賠償を求めた4件の訴訟に対して、最高裁は国家の責任は認めないという判決を下した。防波堤の高さは過去の基準で、原発事故は「想定外」だという。この裁判の原告3700名の内、110名以上が病気や自死で亡くなっている。この最高裁判決は死者をも冒涜したものだ。

 国家は原発を推進し、その事故にも関わらず、オリ・パラのために福島の人たちを棄民化し、国家を訴えた人たちの思いを今度は司法が踏みにじった。断じて許してはならない!

2、ホームレスの人たち(以下野宿者たち)に対する排除・追い出しは生存を脅かす
 私がオリ・パラに反対する大きな要因は野宿者たちに対する排除・追い出しである。

私が野宿者たちの支援活動に関わり始めたのは、1994年にさかのぼる。厳寒時期の2月、新宿駅周辺でダンボールや新聞紙一枚で寝ている野宿者たちを新宿区は突然強制排除した。私は、その当時、「いのけん」(正式名称「渋谷・原宿生命と権利をかちとる会」)のメンバーとして一早く現場に駆けつけた。

 「環境美化」として野宿者たちを追い出し、粗末な食事、劣悪な環境の施設に収容した。その余りにも人権を無視した行政の収容政策に対して、多くの野宿者たちが新宿に戻ってきた。

 しかし、排除・追い出しによりますます困窮する野宿者たちを新宿福祉事務所は放置したままだった。空腹の野宿者たちにカンパンだけを配り、病人や怪我人も区が指定したヤブ病院にしか診てもらえなかった。

 今では当時と比べれば生活困窮者は生活保護を受給しやすくなった。しかし当時は、65歳以上か余程の重篤患者しか生活保護を受けられず窓口で追い返された。生活保護法第2条の「無差別・平等の原則」は完全に踏みにじられていた。
 その当時まで、野宿せざるを得なかった人たちは、日雇いや飯場(建設労働者の宿泊所)の労働者が仕事を失ったケースが多かった。今でいう非正規労働者である。しかし1994年前後、バブルが弾けて首切りの憂き目にあった会社員たちも野宿に至り、その数は増々膨大なものになっていった。

 行政はしきりに、野宿に至るのは自助努力が足らない、自己責任だ、と言うが、企業が使い棄てたあげく労働者を路上に放り出したものであり、資本主義体制の持つ構造的な問題である。
 私は、1994年から95年に渡る年末年始、仕事がなくなり、行政も閉まる一年のうち最も厳しい時期の越年闘争の医療班のメンバーだった。多くの野宿者たちが体調を悪化させ、救急車を呼んでも同伴を許されず、病院で亡くなる事態が相次いだ。野宿者たちは私たち支援者とともに、「仲間の命は仲間の手で守る!」ことをスローガンにし、それは今も引き継がれている。
 その後も行政は野宿者たちを追い詰めていった。東京都は1996年1月、新宿西口歩道のダンボールハウスで暮らす100人以上の野宿者たちに対して、「動く歩道」を設置することを名目に強制排除した。追い出された野宿者たちは新宿駅ロータリー周辺に移動したのだが、基礎疾患のある多くの野宿者たちが無念にも亡くなった。

 私は、その年渋谷に活動拠点を移すのだが、渋谷福祉事務所の対応も悪かった。ある調査によると新宿と渋谷のそれは最低ランクだという。行政にさえ見棄てられた野宿者たちは、自らの命を自らの手で守るか、野垂れ死にしかなかった。
 野宿者たちはある日突然に野宿状態におかれたのではない。失業し、仕事がなく、貯金がつき、家族も友人も頼るところもなく、野宿に至った。それでも生きていくために雑誌拾いやアルミ缶集めなど、いわゆる「都市雑業」で収入を得ていた。しかし多くの自治体でリサイクル条例が作られ、雑誌拾いなどは処罰の対象となり、わずかな収入さえも奪われた。学歴がなくても働ける日雇いの仕事がなくなり、また、頼る家族がいなかったり、家族関係がうまくいかなかったりして、路上の方がましという人たちが野宿するようになった。
 私たち支援者ができるのは、野宿者同士が生きること・助け合うことを支援することに過ぎない。それは、ただ物をあげることでは決してない。支援者・野宿者は立場は違えども、仲間と呼ぶ。
 仲間の主な活動としてパトロール(夜回り)がある。夜、昔から野宿している仲間や新たに野宿する仲間のもとへ赴いて話し込みをし、健康状態や排除・追い出しの情報など丁寧に聞き、当事者とともに行動してきた。仲間にとっては生死に関わる問題だからだ。
 私はテント生活者の死や自殺者を何度も目の当たりにしてきた。例えば、渋谷区が「自立支援施設」を設置するという理由で、そこで寝ていた数人の野宿の仲間たちを追い出したことがある。その翌日、そのうちの1人の高齢の仲間が凍死した。

 亡くなっても引き取り手がない野宿の仲間の最期の別れに立ち会ったり、野宿の仲間が少年の襲撃により殺された現場に花と線香を手向けたりした。毎年8月の盆に仲間と作る夏まつりでは、その年渋谷で亡くなった野宿の仲間を追悼してきた。
 また、活動の1つに、飯を仲間とともに作りともに食う、共同炊事(炊き出し)がある。誰もが水平な関係であることを理念にして、ベニヤ板の上で食材を包丁で切り、大釜の炊飯器で米を炊いた。手伝う仲間は固定するのでなく、かわるがわる調理した。多少遅くてもいい、下手くそでもいい、まずくてもいい。仲間は味よりも共同作業にこだわった。
 私が最初に活動していた「いのけん」の後身が、今も続く「のじれん」である。1998年に私も発足メンバーとして関わり、正式名称は「渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合」とした。発足当時は「渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合」だったが、2000年代、相次ぐ排除・追い出しにより人が生きていく最低限の条件、即ち、寝ることと食べることが極度に脅かされてきたことで名称を変更した。

 当たり前の生存も生活も許してもらえない。特に、行政・企業のたび重なる排除・追い出しによって寝場所を奪われ続けた。炊き出しの場所も奪われかけた。
 行政の攻撃に対して私たちは、仲間のつながり、仲間の団結で闘ってきた。話し合いを重ね、ともに飯を食い、行政と何時間にもわたる交渉を何度もやり、人々に窮状を訴え、泊まり込み、カンパを募り、闘ってきた。東京各地だけではなく、全国の野宿者運動、さらにタイやフランスなど世界中の仲間とつながり、共に闘ってきた。当初はこちらの勢いが強かったが、しかし、官民一体の圧倒的な攻撃に後退を強いられた。 
 渋谷において具体的には、2010年、区立宮下公園でテント生活をしていた仲間たちに対する行政代執行。テントや生活品を強奪するだけではなく、仲間たちも強制的に排除、追い出した。

 2011年、寝場所拠点である東京都児童会館の玄関前閉鎖。耐震性にかこつけた会館の閉館を理由に、野宿者たちや生活保護などを管轄する都の健康福祉局が、よりによってそこで寝ていた仲間たちを排除、追い出した。

 2012年には区立美竹公園での行政代執行。長年、テント生活をしていた仲間たちは生活保護への移行を余儀なくされ、共同炊事拠点も近隣の狭い場所に移らざるを得なかった。その後も宮下公園下のテント生活の仲間たちが生活保護のアパート移行をエサに排除、追い出され、美竹公園も3分の1に削られた。

 前渋谷区長桑原とその後を引き継いだ現区長長谷部は、まさに渋谷において仲間たちの一掃を図っていた。なぜ、渋谷の野宿の仲間たちはこうも狙われるのか!?それは第4項に詳しく述べるが、その前に野宿者を生んだ構造的問題について述べたい。

3、そもそも野宿者は誰が生んだのか
 1990年代半ば、バブルの崩壊によって野宿者がそれまで以上に顕在化したことは前に触れた。それは景気変動というものではなく、あくまでも資本主義体制が生んだ当然の結果である。かつて石炭が石油にエネルギー転換がなされたおり、炭鉱労働者は大企業に見棄てられた。スクラップアンドビルドの論理である。

 1980年代に始まる新自由主義体制、いわゆるネオリベラリズムは世界を席捲した。日本においても市場競争のために民営化が促進され、大企業はその利潤のために躍起になり、民衆に景気浮揚と見せかけた。バブルは一時であり、その崩壊は決して偶然なものではない。またもやスクラップアンドビルドの論理で大企業や大銀行は統廃合され、多くの正社員たちが整理解雇された。日雇い、飯場と野宿を往還してきた労働者だけでなく、大企業の会社員も野宿に追い込まれた。
 次に野宿者が顕在化したのは2008年リーマンショック以後の状況である。最もその影響を受けたのは当時労働人口の3割と言われた非正規労働者であった。不安定雇用の労働者は、首切りとともに住居を失い、野宿寸前のいわゆるネットカフェ難民となった。

 政府は、野宿状態が本格化する前に生活保護を適用し、即居宅への移行を進めたが、これまでの野宿者への対応はしなかった。新たに野宿に至る可哀想な若者には同情するが、従来の野宿者は同情しないとしきりに煽った。
 そして今も続くコロナ禍。非正規労働者は真っ先に使い棄てられ、中小企業は倒産・廃業し、膨大な数の失業者が野宿に追い込まれた。炊き出しに並ぶ女性やこども、若者たちが増えていった。シングルマザーやそのこどもたちに貧困は顕著に表れ、若者たちは生きづらさからくる孤立感・疎外感から自殺か野宿かまで追い詰められた。しかしこの状況は、決してコロナパンデミックによるものではなく、これまでの社会システムがもたらしたものである。
 これまで野宿者を生んだ原因について述べてきたが、この項の最後に、なぜ野宿者のなかに生活保護を活用しない仲間がいるのかについて述べたい。

 まず、福祉事務所に行って生活保護申請をしたものの、稼働年齢の野宿者は相談窓口で、ハローワークや自立支援施設などを紹介されただけで追い払われる。労働市場からスクラップにされた野宿者を就労による「社会復帰」によってビルドさせる。また、所持金や財産確認、扶養者がいるかどうかを強制的に調査され、扶養者がいれば縁が切れていても連絡する。

 生活保護が決定しても「貧困ビジネス」といわれる劣悪な環境の施設に収容される。そこでは、門限8時などの人権侵害、不当に高い食費などの生活保護費のピンハネが横行している。また、寮長による入所者の所持金持ち逃げなども相次いだ。このような施設に長期に渡って収容され、アパートになかなか移してもらえない。これは明らかに生活保護法第30条「居宅保護の原則」から逸脱している。こういった施設では、重篤者の放置による死亡、入所者同士あるいは入所者による寮長の殺人などの事件も起きた。私は、寮長を殺した人に拘置所で面会し、寮長による酷いいじめの話を聞き、裁判も傍聴した。

 これらのことから野宿者は福祉行政に不審をいだく。二度と生活保護申請に行こうとは思わなくなる者が出るのも当然である。生活保護は権利であるにも関わらず、「水際作戦」と呼ばれるその申請を窓口で追い払うことがいまだに止まない。これは、生活保護をめぐる福祉行政の重大な瑕疵であり、野宿状態を長期化させる原因でもある。長期化すればするほど官民一体となった排除・追い出し攻撃にさらされ、その生存が脅かされる。

4、野宿者に排除・追い出しをもたらすメガイベントとジェントリフィケーション批判
 2020東京オリ・パラに向けた新国立競技場建設のために、明治公園で暮らす野宿の仲間たちは東京都・JSC(日本スポーツ振興センター)によって立ち退きの恫喝を受けていた。私たちは最大時40名いたテントなどで暮らす仲間のもとをパトロールし、健康や排除・追い出しのことを気にかけていた。私たちも新国立競技場建設の反対運動に参加した。

 都・JSCの立ち退き攻撃が強まり、そこに住む仲間たちの生活やつながりが破壊された。私たちは都・JSCと団体交渉を何度ももち、連日泊まり込み、監視を続けた。その最中、話し合いを無視して、いきなり鋼板(工事用の長い鉄の板)の設置が強行された。また、明治公園を管轄する都から無償で土地を譲渡されたJSCは、東京地裁に土地明渡しの仮処分申立を提訴した。

 そして2016年4月、ついに明治公園の仲間たちは仮処分によって強制排除され、その荷物は何台ものトラックで運ばれた。この追い出しや荷物の強奪について国家賠償訴訟を提訴し、のじれんの支援者も原告の1人として今も闘っている。
 振り返って1964年の東京オリンピックはどうか?関連施設の建設はもとより、新幹線や道路建設のための突貫工事が行われ、動員された出稼ぎなどの底辺下層の労働者が多数死亡している。2020東京オリ・パラでも同じく、労働者の過労死や、過労が原因の自殺が相次いだ。オリ・パラというメガイベントのたびに労働者の命は犠牲にされてきた。
 また、1964年大会のために霞ヶ丘団地に移転させられた住民たちは、今回のオリ・パラで立ち退きを再度強制され、長年つちかってきた生活基盤やコミュニティを破壊された。
 1970年の大阪万博の時は、寄せ場(労働者の供給地)である釜ヶ崎に全国の労働者が集められ、その建設工事に従事した。しかし万博の後、釜ヶ崎の単身労働者は狭いドヤ(宿)に押し込まれ、日雇いや飯場の労働がなくなると野宿する労働者が一気に増えた。
 今世紀に入ると、橋下大阪維新府政は2012年に西成特区構想を打ち出し、釜ヶ崎が真っ先に狙われた。野宿者の排除・追い出しが強化され、1970年、万博と同じ年に開設された「あいりん総合センター」は2019年に閉鎖された。さらに2020年、大阪府はセンター周りで生活している仲間に対して土地明渡しの仮処分を大阪地裁に提訴、2021年に仮処分は却下されたが、2020年の本訴の判決では府の申立を認めた。同時に判決が確定するまでは仮執行宣言は出してはならないとも言った。 
 その間にも大阪維新府政は、大企業と手を組み、釜ヶ崎においてリゾートホテル開設を皮切りにして特区構想を実現するためジェントリフィケーションを着実に進めている。2025年に予定されている大阪万博は野宿者の排除・追い出しの上に準備されてきたが、ジェントリフィケーションもまた野宿者の排除・追い出しの上で成り立っている。釜ヶ崎の仲間たちはそれに対して必死で闘っている。   
 話を東京に戻す。渋谷においては、前区長桑原は経済特区に指定されることで渋谷駅周辺の再開発を強行し、「100年の計」と豪語した。現区長長谷部も官民一体となって高層ビルを林立させ、グーグルやサイバーエージェントといった世界的大企業を呼び込んだ。宮下公園は今では屋上が公園で、下の総合施設には有名ブランド店が軒を並べる。金を出せるものだけが楽しめる公園になり下がった。

 そして、現在、仲間たちのテント拠点であり、のじれんの共同炊事拠点である区立美竹公園と隣接する都立児童会館跡を再開発し、ビルを建設しようという計画が進行している。野宿者の寝る場所と食べる場所を奪い、金をかけずにのんびり休む空間を人々から奪い、渋谷においてジェントリフィケーションを貫徹しようとしているのだ。それに対して渋谷の仲間たちは多様な戦術をもって闘っている。
 何度でも言う!仲間の生存を奪う排除を絶対に許さない!メガイベント、ジェントリフィケーションのごとき官民一体となった追い出しを絶対に許さない!

5、私はなぜ、聖火リレーイベント(以下、聖火イベント)に対して爆竹を鳴らさなければならなったか
 まず、最初に起訴状、並びに論告のいう「妨害」の対象について述べる。私の爆竹という抗議の対象は聖火イベントそのものであり、オリ・パラそのものであって、決して(「妨害」の「被害者」とされた)イベント会社S社社員のUさんの業務を対象としたものではないことをはっきりと言いたい。

 勾留状ではイベントの主催者として「公益財団法人東京オリンピックパラリンピック組織委員会事務総長武藤敏郎」とうっかり書面にしたためた。どこかからの圧力があったとしか思えないが、以降検察側は、起訴状はもちろん、Uさんの証言、証拠提出、被告人質問、論告にいたるまで武藤の名前を消した。証人申請も却下された。

 そう、私の抗議は武藤に向けられたものであり、IOC会長バッハ、首相菅、組織委員長橋本、東京都知事小池に向けられたものであり、その他の何ものでもない!Uさんはいわば、それら連中の人身御供にされたのであり、私の抗議を矮小化するための生贄にされたのだ!
 弁護側が提出した小金井市議会のオリ・パラ反対の意見書、オリ・パラを批判する新聞記事が証拠採用された。いかにオリ・パラが醜悪なものか、Tさん、鵜飼さんが証言してくれた。しかし検察側はこの公判において、そもそもなぜ私がオリ・パラに反対するのか、つまり行為の動機という重大な論点に少しも触れることはなかった。

 医療従事者や人々の反対を無視してオリ・パラは強行され、コロナ感染者を増大させ、その結果たくさんの人が死んだ。私が有罪というのなら、その死の責任を誰もとらないことを説明しろ!オリ・パラが人々の命よりも大切というのなら、その本質について少しでも述べてみろ!

私がなぜオリ・パラに反対するのか、その趣旨を再度述べる。
①国家による国威高揚のための競争主義。
②オリンピック貴族といわれる者たちの特権の維持。
③大手イベント会社、放送局などの巨大企業の利益の独占。
貧困層の住居の立ち退き、オリ・パラに反対する人たちに対する暴力と虐殺。
⑤ロシアによるウクライナ侵略などこれまでの戦争のたびに行われてきた政治利用。
⑥テロ対策、治安対策を名目にした警察、軍隊の装備、監視、管理システムの強化。
⑦自然や環境、聖地の破壊。
⑧優生思想に基づく支配と分断。
⑨創立期から現在まで続くジェンダー差別。
⑩大会のたびに積み重なる準備・開催費の負担。
 そして、オリ・パラというメガイベントにより仲間が排除され、追い出されることである。今回のオリ・パラ開催のために仲間が排除され、追い出されたことを断固糾弾する!私は、30年近く仲間の支援活動に関わってきたが、絶対に許すことができない!

 私の聖火イベントに対する抗議の意思表示について、検察官は論告でこう言った。イベントが終わる時間に行ったのなら抗議の対象がいないので、「後の祭り」ではないかと。そしてトランジスターメガホンやビラまきなど反対の意思を示す穏当な代替手段があったにも関わらず、爆竹という意思表示はいけない、と。

 「後の祭り」など余計なお世話である!昨年7月16日、コロナ急増の中、オリ・パラはまだ始まってもいなかった。だからイベント終了後に抗議しても、十分に意味はあったのだ。同時に私は、行動には様々な方法があり、多様性があると思っている。検察官にトラメやビラまき以外やるなと言われる筋合いはない!

 その上で、こう指摘したい。検察官の言うところの「穏当な手段」によるオリ・パラ反対の抗議行動は、「表現の自由」の下で本当に保障されていたか?絶対にそうではない!

 オリ・パラ反対の行動は、大量の警察官・機動隊・自衛隊まで動員して圧殺されたではないか!

 長期間の道路規制と会場付近の立ち入り禁止など過剰警備が行われ、公安は歩道上で面割りを行って反対する者の通行を妨害した。「一般人」は通れるが、「反対の人」は通れない歩道が会場の周りに広がった。新国立競技場の近くで暮らすオリ・パラに反対してきた友人は、近所に出かけるのにも警察の尾行がつき、通行を妨げられ、日常生活に大変な支障が生じた。聖火リレーに水鉄砲で抗議した人、パラリンピック開会に抗議した人など、全く「穏当」な抗議にも警察は逮捕で応じた。オリ・パラ反対の情宣活動をする人は大量の公安警察に常にカメラ撮影され、大きな精神的苦痛を被った。

 反対運動に参加した仲間たちが告発するこれらの過剰警備・人権侵害の事実は、インターネットなどでもたくさん記録されている。検察は「穏当な反対の意思を示す代替手段があった」などと言うが、これ自身が権力によるオリンピック弾圧の実態を覆い隠すための虚偽のベールである。   
 私は、持病が悪化して体調をくずし、オリ・パラ反対の行動に十分に参加することができなかった。しかし、私の地元に隣接する市部の武蔵野から聖火を区部にリレーされることを止めたかった。そのために爆竹を鳴らすという自分なりのささやかな抗議をした。

 そもそも爆竹は、花火のような玩具で人に危害を加えるものではない。私もそうだが、傍聴人も弁護人も検察官も裁判官も、こどもの頃遊んだ人はいるだろう。私は聖火イベントに対する抗議として爆竹を鳴らしたが、誰一人を傷つけるつもりはなかったし、検察官も論告の中で怪我人等はなかったと言っている。私は聖火イベントに抗議しただけだ!それでも爆竹は穏当な手段でないとすれば、どんな手段をとればよかったのか!?菅や小池、武藤らは、デモによる抗議も、医療従事者の声も、都民の8割の反対世論も無視するだけだったではないか!

 

天安門を見よ!
 民主化を求める学生、穏当な手段をとった学生、市民、労働者たち多くの人民に対して、軍は虐殺したではないか!
 香港を見よ!
 弾圧の強化に穏当な手段で抗する多くの人民が、拘束されたではないか!
 そして現在、ロシアの地で何万もの人民が逮捕も辞さず、極めて穏当な手段でウクライナ侵略戦争反対の声をあげている!
 私は、例え、彼たち、彼女たち、人民が穏当な手段を超えても、闘う人民を全面的に支持し、連帯する!

6、まとめとして
 (「被害者」とされた)Uさんは証言で、聖火リレーイベントは「(滞りなく)基本的には終わりました」「おおむねはうまく進行しました」と言っている。しかし、私は、「威力業務『妨害』罪」に問われ、不当逮捕され、不当起訴され、不当にも139日間身柄を拘束された。

その中で、「バクチク無罪!五輪有罪!」との仲間の声、「自分はできないけれどよくやった!」との声に励まされた。多くの人たちのカンパ、檄文、差し入れなどが獄中生活の大きな支えとなった。本当に感謝している。この場であらためてお礼を言わせてください。

 最後に、竹下裁判長、朝倉裁判官、田中裁判官に問う!

 本当に裁かれるべきものは何なのか?本当に裁かれるべきは誰なのか?私は、その答えを聞きたい。
 私は、聖火リレー、オリンピック・パラリンピックに抗議して爆竹を鳴らした。
 例え、いかなる判決がくだされようとも、人民の名において私は完全に無罪であることを宣言する。
 以上。

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武蔵野五輪弾圧裁判判決
9/5(月)14:30集合・前段集会、16:00開廷
東京地裁立川支部

最終意見陳述をする黒岩さんと竹下裁判長・朝倉裁判官・田中裁判官

最終意見陳述中の黒岩さん

弾圧から1年ー7.17 五輪有罪・バクチク無罪デモ

2030札幌冬季五輪も大反対だ!
昨年の2020オリンピックの最中、不要不急のオリンピックのために県境どころか国境を越えてたくさんの人々が移動し、コロナが大爆発、医療崩壊でたくさんの人が殺された。中止の世論・専門家の意見・反対行動を無視して強行した。人々の意見を聴かない菅・小池・バッハは血のオリンピックの責任をとらず、開催に小さな警告を鳴らした黒岩さんが「威力業務妨害」罪で1年を求刑されている。ふざけるな。
2030札幌冬季五輪招致も大反対だ! 開催が1度決まったら、金儲けの歯車が猛然と回りだし、政治家の嘘が大量に垂れ流されながら、人びとから生きる場を奪い、自然を破壊し、税金を投入しまくる五輪。中止する民主的な方法もなく、開催あるのみ。今こそ、札幌五輪招致を止めよう。地球上のどこにも五輪はいらない。

 

★五輪有罪、バクチク無罪! 人殺しのオリンピックを札幌でやらせない!★
集合 7月17日(日)15:30
    吉祥寺の杜・宮本小路公園集合(吉祥寺駅北口7分)

武蔵野五輪弾圧救援会( https://kyuenmusasino.hatenablog.com/

弾圧から1年ー五輪有罪・バクチク無罪デモ 2022.7.16

2022.7.4 第7回公判で結審。弁護団の反論と黒岩さんの陳述を聴きに行こう

武蔵野五輪弾圧第7回公判(結審)

7月4日(月)13:30集合 ※前段集会あり
東京地裁立川支部前集合

 

武蔵野五輪弾圧は、2022年7月4日の第7回公判で結審する。

被告人冒頭意見陳述、

検察側証人の株式会社スパイダーのU氏の証言、

被告側証人のTさんと一橋大学名誉教授・鵜飼哲さんの証言、

被告人証言

を経て、

検察は、「オリンピック反対はトラメで訴えればよかったんだからバクチクはダメ、誰もケガをしなかったけど懲役1年」などと表現の自由を制限する主張を展開。

そして7月4日、弁護団は検察の勝手な言い分に反論し、無罪を訴える。被告人の黒岩さんは、恐らく1時間に及ぶであろう最終意見陳述で、ジェントリフィケーションとメガイベントがもたらす人間の排除について語る予定だ。

傍聴席のコロナ入場制限はなくなった。いざ、結審へ!!

 

2022.3.11 鳴り響く進軍ラッパに驚愕した福島訪問記…黒岩大助

「聖火」リレーの始まりの地、冒頭意見陳述に書いた福島を訪ねた

 訪問と言うには余りある。見学でも見物でもない。私は武蔵野市で「聖火」に抗議して逮捕、起訴されたが、そのリレーは、福島原発事故の収束作業基地であったJヴィレッジから出発した。コロナの影響により東京での公道走行は中止されたが、市部住民である私は「聖火」を区部に渡したくなかった。2021年11月26日、私は初公判の意見陳述でオリンピック・パラリンピック(以下、オリ・パラ)の開催強行がコロナパンデミックの下であること、福島原発事故による棄民化の下であることを主に主張した。コロナ状況は私を含め全世界があらゆる被害を受けたが、原発事故は対岸の火事ではなかったかと獄中で自問自答していた。

 2021年12月1日保釈で外に出た私は、福島に行きたかった。いや行くべきだった。その機会が今年3月11日にやってきた。原発事故から11か年。今回の福島行きは原発事故を少しでも全身に刻み込むためである。

 私は、大熊町とその北に隣接する双葉町を訪ねた。原発事故で最も多くの被災者、避難者を出した町である。原発立地であるこの2つの町の人たちは、ある日突然、穏やかな日常が断ち切られ、手荷物一つで遠くへ避難することを指示された。
 そもそも大都市から離れ海に面していることで、国家は原発を建設し稼働させた。「明るい未来のエネルギー」のスローガンの下、反対派の声は掻き消され多くの人々が受け入れた。様々な原発関連作業に携わり、町は潤った。しかし、結局のところ原発は国家の揺るぎない繁栄と大資本の巨大な利益を生み出す装置でしかなかった。
 そして、2011年3月11日、東日本大震災により福島原発は事故を起こした。被災者は避難所から復興住宅へ転々と移される中、家庭は破壊され、関連死は自死を含めて膨大な数にのぼる。ある畜産業を営みとしてきた人は、「町のためだと思って原発に賛成してきたが、こんなことになるなら最初から反対するべきだった」との遺書を残し、牛舎で首吊り自殺した。
 このような状況で2013年、当時の首相安倍は、「福島はアンダーコントロールしている」として、東京にオリ・パラを呼び込んだ。原発事故直後今後100年は続くと言われる原子力緊急事態宣言が出され、それからわずか10年後の2021にオリ・パラの開催を強行した。国家は日本における「スペクタル」のために、福島の人たちを棄民した。

大熊町追悼式で、黙とうの後に進軍ラッパが鳴り響いた

 福島も春が近づいている。大熊町のある常磐線大野駅を降りる。

 駅周辺は、避難指示は解除されたが帰還困難区域であり、住民は一人もいない。いるのは除染作業に従事する労働者だけだった。ほとんど全ての家には「解体除染」の紙が貼られている。(なぜか駐在所には貼られていなかった)。また今だに汚染土を詰め込んだ黒いビニール袋があちこちに残っている。大熊町図書館の時計塔は震災発生時の2時46分で止まったままだ。
 大熊町役場まで1時間半かけて山道を重い足を引きずりながらとぼとぼと歩いた。着いた時は追悼式の準備中。参列者には町から出て行かざるを得なかった人たちも多いだろう。事故当時まだ生まれていなかった子どももいる。マスコミ以外の「よそ者」は私一人だった。そして、2時46分消防団による葬送ラッパを合図に黙祷。しかし、いきなり進撃ラッパに変わり驚愕してしまった。まるで「復興せよ!復興せよ!」との号砲に聞こえた。
 役場前の広場には、原発事故の鎮魂碑とともに「感謝」との碑があった。「令和元年5月1日 衆議院議長大島理森」と書き添えてある。これまで原発を受け入れてくれたことへの感謝なのか? オリ・パラが東京に決まってから棄民化に耐えてくれたことへの感謝なのか? この原稿を書いている中この碑にある年月日にハッと気付いた。ナルヒト即位の日ではないか! 日本という国は、大熊町の人たちに対して原発で発展させてやったこと、オリ・パラのために原発事故から復興させてやることに感謝せよと言っている!しかも念には念を入れてナルヒトが天皇になった日に!

双葉町では、フロンティア精神あふれる移住者を募集していた

 怒りが収まらないうちに双葉町行きのバスに乗った。途中、「地球にやさしい原子力」の看板がひっそりと佇んでいた。双葉町はほとんどが帰還困難区域である。駅前には今回の「聖火」が引き継がれたという碑がある。その反対側では2020年度完成に合わせ公営住宅の突貫工事が行われている。看板には「ふるさとへ『帰る』人も双葉町に『移住』する人も共に『おぎない合う暮らし』」、「本プロジェクトでは『双葉町に暮らしていた町民』はもちろんのこと、『フロンティア精神あふれる移住者たち』の入居も歓迎します。」とある。

 原発事故から11年、多くの人たちが帰ることもかなわず棄民されたあげく、家族や地域に分断を生んだ。また多くの人たちが復興を望んでいるだろう。原発事故をめぐる国策は、福島の人たちを振り回してきた。今また、国家は福島人たちの声や気持ちを圧殺しようとしているのではないだろうか?
 この2つの町を3時間以上歩き回ってくたくただった。その日は素泊まりの温泉宿に逗留したが、歩き歩いた疲れよりも大熊町役場での進撃ラッパが頭から離れず、全然癒やされなかった。

 翌朝、この宿にある原子力災害考証館に行った。原発とは何か、原発事故がもたらしたものは何かをこと細かく説明しており、泣きそうになった。電車の時間が来て詳しく見られなかったのに関わらず。
 私は、最初の決意とは裏腹に、ほうぼうの体で東京に逃げ帰ってきた。しかし、私は、いや私たちは決して福島から目をそむけてはいけない。

大熊町大野駅付近。家屋を除染のため解体

大熊町図書館、 時計が震災時間午後2時46分で止まっている

大熊町での原発事故11年追悼式典。黙とうの後、進軍ラッパが鳴り響いた

大熊町役場の敷地にある鎮魂碑

大熊町役場敷地の意味不明の碑。天皇代替わりの日に建立された。誰が誰に何を感謝?

町のあちこちに今でも残る汚染土を入れた袋。通称、「黒いピラミッド」

拘置所の中でお向かいの人とエールを送った…五輪コロナ禍の獄中よもやま話/立川拘置所編 その5

◆房のお向かいとの交流、弁護士に見せてもらった檄文に励まされた
 この拘置所編、語り出すと留置場編を越してしまいそうなので、エピソードを3つほど。
 1つ目は、先に述べた瀬戸内寂聴さんから永田洋子さんに差し入れろれたどてらが、30年ぶりに入ったこと。赤色がさすがにすすけていたが、身も心も暖かく感無量だった。寂聴さんはその直後にお亡くなりになられ、信心などに縁遠い私だが獄の中で思わず手を合わせた。
 2つ目は、近くて遠い房の向こうさんと、偶然小窓越しに目と目が合った時のこと。廊下からは房が見えるが、房からは外が見えない。目が合った彼は若かった。私がガッツポーズをすると、彼はびっくりしていた。そして、またその機会が訪れると、彼の方からガッツポーズをした。無言だが力強いエールの交換だった。
 3つ目は、接見に行く時、事務室のペンを私に貸し出した時のことだ。いつもは接見の直前までペンを担当職員が持っていくのだが、ある職員は最初から私にそれを持たせた。私が「持っていていてもいいの?規則はどうなっているの?」と聞くと、「そんなの個人の裁量なの!」と言い返してきた。個人の裁量と言われもそれはそれで困るのだか、確かに威圧的な職員と親身な職員とがいる。どういう意味で個人の裁量なのか、やはり否定的に受け止めざるを得ないが、「昔は良かった」と言うその職員に何か悲哀のようなものを感じた。
 あっ!これを言うのを忘れるところだった。飯のことである。留置場に比べてではない、いつも私が日常的に食っている飯よりうまかった。べつに拘置所を誉めるわけではないけれども、毎日、栄養とカロリー満点。たまに朝出されるきなこには閉口したが、娑婆にいる時は毎日レトルトなので、「このままでは健康になっちゃう」と思った。
 拘置所に2か月半近くいたが、11月26日の初公判後、12月1日の夜に釈放された。仲間たちが歓迎会を開いてくれたが、すでに拘置所の夕飯で腹一杯になっており、ご馳走に箸をつけず申し訳ない限りである。
 最後になるが、弁護士が接見のたびに皆さんの激励文をアクリル板越しに見せてくれ、とても力づけられたことにお礼を言いたい。また本を差し入れるためだけに武蔵野署と立川拘置所に毎週来てくれた仲間にも。そして、私との接見禁止がただ一人解除されたSさんには、忙しいにも関わらす毎週面会に来てくださり本当に感謝している。彼が差し入れてくれた激励文にはタイ語がそのまま入った。遠いタイの仲間の連帯をしみじみ感じた。
 留置場・拘置所の中でますますオリンピック・パラリンピック粉砕の主体が固まった。その暁には、オリ・パラに反対する全ての仲間とともに、腹一杯飯を食い、そして飲みたい。