◆房のお向かいとの交流、弁護士に見せてもらった檄文に励まされた
この拘置所編、語り出すと留置場編を越してしまいそうなので、エピソードを3つほど。
1つ目は、先に述べた瀬戸内寂聴さんから永田洋子さんに差し入れろれたどてらが、30年ぶりに入ったこと。赤色がさすがにすすけていたが、身も心も暖かく感無量だった。寂聴さんはその直後にお亡くなりになられ、信心などに縁遠い私だが獄の中で思わず手を合わせた。
2つ目は、近くて遠い房の向こうさんと、偶然小窓越しに目と目が合った時のこと。廊下からは房が見えるが、房からは外が見えない。目が合った彼は若かった。私がガッツポーズをすると、彼はびっくりしていた。そして、またその機会が訪れると、彼の方からガッツポーズをした。無言だが力強いエールの交換だった。
3つ目は、接見に行く時、事務室のペンを私に貸し出した時のことだ。いつもは接見の直前までペンを担当職員が持っていくのだが、ある職員は最初から私にそれを持たせた。私が「持っていていてもいいの?規則はどうなっているの?」と聞くと、「そんなの個人の裁量なの!」と言い返してきた。個人の裁量と言われもそれはそれで困るのだか、確かに威圧的な職員と親身な職員とがいる。どういう意味で個人の裁量なのか、やはり否定的に受け止めざるを得ないが、「昔は良かった」と言うその職員に何か悲哀のようなものを感じた。
あっ!これを言うのを忘れるところだった。飯のことである。留置場に比べてではない、いつも私が日常的に食っている飯よりうまかった。べつに拘置所を誉めるわけではないけれども、毎日、栄養とカロリー満点。たまに朝出されるきなこには閉口したが、娑婆にいる時は毎日レトルトなので、「このままでは健康になっちゃう」と思った。
拘置所に2か月半近くいたが、11月26日の初公判後、12月1日の夜に釈放された。仲間たちが歓迎会を開いてくれたが、すでに拘置所の夕飯で腹一杯になっており、ご馳走に箸をつけず申し訳ない限りである。
最後になるが、弁護士が接見のたびに皆さんの激励文をアクリル板越しに見せてくれ、とても力づけられたことにお礼を言いたい。また本を差し入れるためだけに武蔵野署と立川拘置所に毎週来てくれた仲間にも。そして、私との接見禁止がただ一人解除されたSさんには、忙しいにも関わらす毎週面会に来てくださり本当に感謝している。彼が差し入れてくれた激励文にはタイ語がそのまま入った。遠いタイの仲間の連帯をしみじみ感じた。
留置場・拘置所の中でますますオリンピック・パラリンピック粉砕の主体が固まった。その暁には、オリ・パラに反対する全ての仲間とともに、腹一杯飯を食い、そして飲みたい。