武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

五輪コロナ禍の獄中よもやま話 その2……黒岩大助

◆ 19年ぶりの監獄生活 ◆

 留置場に入ったのは、実に19年ぶり。この年齢で決して誉められたものではないが、逮捕に至らない不送致2回を含めてこれで11回目だと、「犯罪歴照会結果報告書」により改めて知った。それでもまったく新入りのつもりで初めての朝を迎えたわけだが、やはりふとんの片付けや洗面など戸惑った。

 その日は、午前と午後に前日と同じ公安徳田が、まず本格的な尋問は後回しにして名前を訊き、どうでもいい話を延々と続ける。こちらが、全く口を開かず、表情を表さないでいると「名前位教えてくれたっていいじゃん」「雑談くらいしたっていいじゃん」「今時、完黙なんて流行らないよ」。そして昔の刑事物ドラマに必ず出てくる「親御さんが心配してるぞ」。これは変わらない。

 それはそうと黙秘にはコツがある。向こうはこちらを凝視し、こちらも負けじと向こうを凝視し返してにらめっこするが、目をそらしたり笑ってしまえばこちらの敗けである。だから私は昔から、うつむき加減で一点を見つめるようにしている。ただぼんやりしても、睡魔が襲ってうつらうつらしてもいけない。怒鳴られたり、机を叩かれた時、びくっと驚いたら敗けだからである。次の日から徳田は事実関係よりも、「組織関係」について繰り返し聞いてくる。昔の調書は、縦書きで鉛筆で書く、いやに達筆で人差し指にペンだこがあるのは新聞記者か刑事位と言われていた。が、今はノートパソコンでカタカタ横書き。その音が無性に苛立たせる。「黙して語らず」の調書の最後に「署名するか?」と言われ、こちらが応じないとしつこく迫ってきて、さらにイライラさせる。取り調べ自体は苦痛ではなかったが、実は、持病の神経性疼痛障害が悪化し階段の昇り降りがきつく、公安に「大丈夫か?」と言われ、「弱み」を見透かされたようで悔しかった。

 

◆ 昔と今の留置場 ◆

 私の場合、それほど長時間の取り調べではなかったが、今も昔もそうやって精神的に消耗させ、口を割らせる手口は変わっていないのではないか。

 変わったと言えばビデオカメラで録画、録音していることだ。冤罪防止のための取り調べ室の可視化と言うが、取り調られる側にとってはプレッシャーであり、ある意味恫喝ではないかと思う。

 また、取り調べの時に煙草を吸えなくなった。健康増進法やらができる前は吸えたが、そのヘゲモニーはこちらで取ることが肝心であった。利益誘導のために刑事の差し出した煙草を思わず手にした時点で敗け。自分の煙草とライターを持ってこさせたはいいが、相手に火をつけてもらったら敗け。そのうちライターをめぐって醜い争奪戦が始まる。それからは、逮捕された時から煙草を吸わない覚悟をした。しかし、「なんだ。お前、煙草吸わんのか?」とすすめられて無視していると、別の奴がすかさず「いや、こいつ〇〇(煙草の銘柄)を吸っているはずですよ」と言う。デモや集会の時などいつもよく見ているなあとつくづく感心する。さらにまた、留置場の運動場は喫煙所でもあった。2本の所や時間制限がある所など署によってまちまちだが、私が最初に入った中野署では10分間の運動で、最低でも5本遮二無二に吸った。そして、拘置所は煙草を吸えないので移送の前に留置担当が、「けつの穴からヤニが出るまで吸っておけ!」とよく言っていたっけ。今は署内で煙草を吸えないのでかえって諦めがつく。長々と煙草の話をしてしまったが、当時留置場生活の中、喫煙者にとって楽しみのひとつであったことを言いたかったからで、煙草を吸わない人にとってはどうでもいい話である。

  留置場生活で一番の楽しみは飯であることに経験者なら異論ないだろう。これもまた署によって違うと思うが、武蔵野署の場合も昼はパン、どこの署も昔と変わらないはず。しかし、朝は少なめの、夜は多めの粗末なおかずに、どちらも冷えたカチカチの米でとても食えた代物ではない。それでも徐々に慣れてくると配食されるものだけでは腹が減る。金の持ちあわせがあったので自弁(自分で買える食品や差し入れてもらった本など)を頼むが、今度は食べ過ぎで腹が出てくる。昔の朝は薄い味噌汁(これは変わっていない)とべちょべちょの米に梅干し一個や昆布の佃煮など申しなさ気に添えたパック飯だったが、夜は暖かい米にまともなおかずの仕出し弁当みたいで楽しみにしていた。当時、警視庁本部の留置場が一番うまかったらしい。

 さらにまた、独居で他の仲間に気を使わずにすんだこと、運動の際の髭剃り器が一人一個ずつになったこと、入浴時間が20分でゆったり入れたことなど、昔と変わっていた。私は、逮捕された7月16日からオリンピック閉会の8月8日まで抗議の獄中ハンストをするつもりだったが、昔と違って警察も検察も動じないこと、差し入れや弁護士の手配など獄外でオリパラ反対を闘いながら支援してくれている仲間に心配かけるのは申し訳ないこともあり、4日後の勾留決定時に解除した。8月8日は私の誕生日で、その日を獄中で迎えるのは3回目。なんだか今と比べて昔は良かったなどと思い出に浸っているようにみえるが、そんなつもりはさらさらありませんので誤解なきよう。

 やはり留置場の中でもコロナによる影響は大きい。皆が独居で、私がそこにいる間は幸いなことにクラスターは発生しなかったが、ほとんどの「仲間」が起訴されても拘置所の独居が満杯で移送が遅れ、そのために留置場を代用監獄として悪用しており、多くの「仲間」が長期間留め置かれている。武蔵野署の場合「収用」されている「仲間」は常時10人前後で、勾留、または勾留延長されず釈放される「仲間」が多く、その都度新たな「仲間」と入れ替わる。そして感染防止のため、房の中ではマスク着用は義務付けされ、新聞の回し読みや、六法全書の貸し出しなどもできない。留置場でコロナ対策をするぐらいなら、最初からパクるな!(続く)

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