武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

五輪コロナ禍の獄中よもやま話/立川拘置所編 その1…3回目の拘置所

◆3回目の拘置所
 7月30日に起訴されて2か月弱、9月22日、私は晴れて拘置所に移送された。前日、担当に言われて心の準備が出来なかったことと、このまま初公判が始まると思っていたので、いささか戸惑った。当日朝飯を食ってから護送車で重い本と衣類の詰まった紙袋とともに拘置所に運ばれ、荷物の検査と聞き取りの手続きをする。悪名高きガラス棒で肛門をつつくのはなかった。そして形ばかりの健康診断。
 実は、拘置所はこれで3回目である。
 1回目は、1992年2月、傍聴席で暴れ監置処分で入った東京拘置所。今はすっかりビルになり中はより悪質化しているみたい、当時はまさに誰がどうみても古びた監獄そのものだった。「この建物は関東大震災級の地震でも耐えられます」というアナウンスには笑った。まさかそこに自分が入るとは思わなかったが、よく面会や差し入れに行っていた。差し入れ屋は拘置所の中にある店と拘置所裏門前にある外の店の2つがあり、中の店で売っている最高額のものはカニ缶で3000円!外の店には確か花が売っていたと記憶している。その隣に小さな食堂があり、夏に面会に行った時によくビールで喉を潤わせていたっけ。自分の時は何を購入して何を差し入れられてもらっのたか、覚えていない。今も変わらないと思うが、監獄法と呼ばれていた時代、監置は最高20日までだが、死刑囚と同じ処遇だった。一般面会は親族以外禁止、私書も同じく禁止。瀬戸内寂聴さんが連合赤軍事件の永田洋子さんに差し入れたどてらが巡りまわって差し入れられたのも、この時だ。
 2回目は、1996年8月6日、政府主催の欺瞞的な広島原爆平和式典に抗議するべく、バクチクを鳴らし広島中央署に逮捕された時。この真夏の中、クーラーもきいていて3食大盛の仕出し弁当、外で救援をしている仲間には申しわけなかった。また抗争事件で入っていたやくざの親分さんに風呂で背中を流してもらい、「こんなも、ある意味極道じゃけんのう」と言われ恐縮した。ここでゆっくりのんびりしようと思っていたところ、勾留がついてから突然広島拘置所に移された。どうやら裁判官は、代用監獄はいかんという原則的な人だったらしい。広島県警公安は、毎日広島拘置所まで出向いてきて「名前ぐらい言ったらどけんな」「悪いことしとらんのなら正々堂々言いんさいや」などしつこく聞く。他にも「じゃけん~」「~のう」の繰り返しで、まさに仁義なき戦いの世界。この2回ともまたまだ面白い話はあるのだが省く。
 私は、今回立川拘置所に入ったが、東京拘置所に入ったときは無茶苦茶寒く、広場拘置所に入った時は無茶苦茶暑く、それに比較すると季節的に恵まれていた。また、昔はどこでもアルマイトの食器で6分が麦飯、おかずは量が多く食べきれなかったが今は大分違っている(後述)。      「その2」に続く

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