武蔵野五輪弾圧救援会

2021年7月16日に東京都武蔵野市で行なわれた五輪組織委員会主催の「聖火」セレモニーに抗議した黒岩さんが、『威力業務妨害』で不当逮捕・起訴され、139日も勾留された。2022年9月5日の東京地裁立川支部(裁判長・竹下雄)判決は、懲役1年、執行猶予3年、未決算入50日の重い判決を出した。即日控訴、私たちは無罪判決をめざして活動している。カンパ送先⇒郵便振替00150-8-66752(口座名:三多摩労働者法律センター)、 通信欄に「7・16救援カンパ」と明記

被害実態なき懲役1年とは?――五輪反対を鮮やかに表現した爆竹

リレー随想★1

                  なとり           

秩父夜祭での興ざめな警備

 先日3年ぶりに開催された秩父の夜祭に行ってきた。ユネスコ無形文化財にも登録された山車の曳き廻しやそれに合わせての花火などまさに見物で、1日で26万人もの人が訪れたという。ただ曳き廻しが始まる数時間前から会場のいたるところで警察官が打ち合わせしている姿がやけに目に付き、付近には何台もの機動隊の車両も配備されていた。
 そしていざ山車が出発するという時間になると、山車の行く先には警官が設置した可動式の厳重な柵が置かれ、山車と観客の間にはプラスチックの柵と多数の警官が立ちふさがっていた。また一人の警官がスピーカーで間断なく観客に様々な注意を呼びかけていて(いわゆるDJポリス)、静かに始まる祭りの雰囲気が妨害されているように感じた。山車が出発するとともに柵は取り払われたのだが、山車が通る場所では警官によるスピーカーでの注意喚起はずっと続き、一緒に観ていた人は「少し興覚めですね」と言っていた。

 あと不思議に感じたのが、警官以外に観客への対応をしている「祭り側」の人が見当たらないことだった。地域の祭りならば、地元の人が客への対応をある程度は担うものだろう。

 調べたら戦後数年での開催時に祭り終了後駅へ流れた客が6人圧死した事件があり、それから警備が厳重になったと書いてあった。が、もう何十年前の話だ。街の中のある商店に張り出された写真(カラーで明瞭だったからそう昔ではないはず)にあったのは、山車の周りに誰が観客なのか分からないほどに人が入り乱れた以前の祭りの光景だったが、それはすでに別の祭りに見えた。


■オリンピック・パラリンピックでの攻防とは
 翻って一昨年コロナ禍で多くの人々の反対にも関わらず開催されたはオリンピック・パラリンピックは、言うまでもなく国家挙げての「お祭り」だ。警備やコロナ対応と称し全国から警察官や自衛官が集結し、祭りの開催中は各会場でボランティアスタッフと連携しながら大手を振って主役級に動き回っていた。

 コロナで無観客ということで、警官の役割は抗議者への対応にある程度限定されたかもしれない。観客らしい観客しかいないお祭りの警備は、むしろそれこそが本来の役割といえたのではないか。権威への奉仕のためだけの「祭り」において、攻防はそれに異議を唱える者たちとの間にしか生じないからそこが最前線となる。抗議行動の現場では、持ち運び可能な柵でその線を決める実権を持っているのが警察で、抗議する側は、その柵と立ちはだかる警官の身体とのぶつかり合いによってその柵を意識せざるを得なくなる。パラリンピックの開会式での抗議者の逮捕はその後数日で釈放されたとはいえ、その線を超えようとしたことに対する見せしめであるとともに、線の実効化が権力の狙いであろう。

 

■爆竹抗議に、解放感を感じた
 黒岩氏の爆竹抗議を見聞きした人の中からは「解放感があった」という声が聞かれた。なぜだろうか。それは爆竹の破裂音が権力が引いた線そのものを無効化したからだろう。また即座にその柵を乗り越えようとする身振りによっても突破を示した。そもそもイベント会場は、普段は開かれた公共空間であってその柵は五輪イベントのために置かれた柵であった。その音が響いた時間は「聖火」イベントによって奪われた空間を私たちの側に取り戻したと感じさせた瞬間でもあったのではないだろうか。
 一審公判の中で「被害者」を買って出たイベント会社の社員は、事前の打ち合わせにおいて会場外で行われる抗議行動については黙認するという確認を警察とともにしていたと証言した。ということはその線を超えてきたら警察とともに阻止するという方針だったということだ。そしてその社員も警察もその通りに行動し、即座に当該を取り押さえ、逮捕した。その後のことはお上にお任せということだが、残ったのは「誰もけが人はいなかった」し、「業務はほぼ滞りがなかった」という社員が裁判で証言した事実のみだった。
 お上は黒岩氏を139日勾留し、懲役1年の判決を下した。これだけの罪を着せようということは、裏を返せば、黒岩氏の行為がまさに「表現」としての威力を持っていたいう証明でもある。反対の声を圧殺して開かれようとしていた「祭り」に向けて投げられた爆竹の音はその時明確な鮮やかさを伴った抗議の表現となったのだ。
 被害のない案件において罪を創作しようとまでする、司法として本当に無様としかいいようのない一審判決の内容だった。まさに司法ぐるみの「五輪開催に対する政治的表現」への弾圧であり、その実態を明らかにするということにおいても意義ある裁判に関われていると私は思っている。爆竹無罪。

2021.7.16オリンピック「聖火」キス会場の武蔵野総合体育館前 制服警察官の前や階段にいる白シャツ・バッグ斜めがけの連中は公安警察